靴磨きのサービス名を決めました
サービス名は、『ナガク』です。
靴とは人の相棒でありまして、一緒に歩んでくれる存在です。
靴を選ぶときって、いろいろ考えて、いろんな靴を見て、自分に合うかを確かめてから買うじゃないですか。
そうして選んだ靴だから、できる限り長く履いていたいですよね。
できる限り長く履けるよう、靴磨きや補修をするのがぼくの仕事かなと思いまして、『ナガク』にしました。
あとは、靴磨きを始めてからまた繋がった縁もありますし、
自分の靴が綺麗な限り、繋がり続ける縁もあるので、そんな経験もあって、
長く人と繋がっていられるサービスにしていきたいという思いもこめております。
サービス自体も長く続けていきたいですし。
靴とあんまりかかってないような気はしますけど笑
まずはサイト作りを頑張ります!
あと、ここ最近はけっこう死んでましたが、今日、初めて自分の中の人と仲良くなれたので、これから何でもできそうです。
「自分は他人」と思うことで自分について見えてきたことがたくさんあるし、今まで押さえつけてたそいつと話してみると、
予想外の返事がきて楽しいです。
いい友達になれました。
明日から頑張ります。
というわけで、今日は祝杯を。
全身に防水スプレーをかけると雨に濡れないのか
こんにちは、松田です。
昨日、ずっと前からオススメされてた漫画『Giant Killing』を読みました。
めーちゃくちゃおもしろいですねあの漫画。
また、マンガ喫茶に通いつめる日々がやってきそうです。
さて、そんな前フリは言いたかっただけでして、今日、雨が降ってるじゃないですか。
雨を見て思ったんですよ。
「全身に防水スプレーをかけると、雨に濡れないのかな?」って。
まぁ野生のyoutuberみたいな発想ですが、試してみようと思います。
まず用意するのはこちら。
靴用の防水スプレーです。
これしか手元にありませんでした。
防水スプレーを、まずは服に吹きかけていきます。
裏表、まんべんなくかけていきます。
撮り忘れましたが、ネクタイにもちゃんとかけました。
スーツを選んだのは、水の染み込み具合がわかりやすいかと思ったからです。
あとほんとは体にもかけたかったのですが、ここらで防水スプレーが底をついたのと、新しいスプレーを買うお金が用意できなかったので、これを全身と呼ばせてください。
靴に関しては、片方だけ防水スプレーをかけてみました。
右が防水スプレーをかけた靴で、左が鏡面磨きをかけた靴です。
この写真を見て、防水スプレーをかけないほうがいい靴もあることを学びました。
さて、そんな感じで準備は完了です。
さっそく出かけてみましょう。
今回は、土砂降りの中、100mほど離れた駐車場にある車のなかから傘を取ってくるというミッションです。
写真だと伝わりづらいですが、降ってますよ。
ちゃんと降ってます。
ちょっと歩くとまあまあ濡れます。
そんな濡れてる感ないですけど。
でもいい感じです。
ちゃんと水をはじいてます。
防水スプレーさえかけておけば、革靴で水溜まりに飛び込めます。
そんな感じで傘を取り、帰還しました。
さて、結果は!
まぁまぁ濡れたけど、そこまで水が浸透してはいない、という感じ。
ちなみに靴ですが、
鏡面磨きをかけた方は軽くふくと、
元通りピカピカに光ります。
これに関しては、さすが自分と思いましたね。
防水スプレーをかけた方はちょっと表面がざらっとしちゃったので、つやつやしてる革は防水スプレーではなく鏡面磨きで防水をするのが一番です。
今度は、いろんなスプレーをそろえて全身にかけて、台風に打ち勝てるかというチャレンジをしてみたいと思います。
そして、今日晴れたらいいですね。
それでは。
自分を大事にしてあげてみよう
こんばんは。松田です。
中二の6月だった気がします。
塾で授業を受けていたあのとき、ぼくはノートの上の端に書きました。
『お前は一人だ。』
自分がしんどくたって、誰も気にしちゃいねぇよ、というのを自分に言い聞かせてたわけです。たぶん。
もともと感情を言葉にするのが苦手なので、気づいてもらう努力もできないんですよね。たぶんですけど。
だから、自分は一人だと思い込むことで、その努力から逃げようとしたわけです。
実際逃げてきたんですけど。
そりゃあね、親も気づかないわけです。
そもそも1日に2言くらいしか話をしなかったし。
そうして人には頼れないと思い込んできて7年ほど経ちまして、気づけば自分に「死ねゴミクズ」か「殺すぞカス」か「いいから早く殺されてくれ」しか言えない人間になりました。
残念ながら。
『自分が好き』なんてありえない。
この世にいないのが当然の人間なんだと思ってきました。
でも、昨日読んだ『うつヌケ』という本にこんな言葉がありました。
↑この本です。
15名のうつになった原因と、それをどう治したかという解決策。
そこから導いた、うつになったときの対処法、精神科医的視点でのうつの治し方が、マンガでわかりやすく描かれた名著でした。
載ってたのは「自分を他人だと思うことで、優しくできる」という言葉。
なるほどなぁと、納得しましたね。
やってみると、たしかに優しくできるし。
自分を自分だと思うから、ぼくの世界には常に自分しかいないんだなと。
自分を他人だと思えば、ぼくの世界には他人しかいないんだなと、気づきました。
自分は一人だけど、他人は70億人くらいいるので、『自分は他人』と思うだけで、ぼくの世界は広がった気がしました。
ぼくはけっこう、気分の浮き沈みが激しい方だと自覚しています。
しかも、わりと攻撃的なほうが多いです。
でも、ぼくが攻撃的なのは、ぼくがぼくを守ろうとしてるからなんです。
人に近づきすぎて傷ついたトラウマがあるから、2度とそうならないよう、自分が不安定なときはなるべく人を遠ざけようとする自己防衛なんです。
その、守ってくれてた自分がおそらく本当の自分なんだと思うんですが、今日をもって解任です。
「ぼくと君は他人同士だから、これからは好きに生きてくれ」と、お別れをしました。
トラウマなんて、もう一回同じように傷ついてみれば治ると思うので、できる限り人に近づいてみようと思います。
あとぼくは、めちゃくちゃ被害妄想をします。
自分を傷つける可能性をすべて予測して身構えて、来たと思えば速攻で反応します。
だから、人の言葉は99%悪い方にとって、そこから想像をふくらませます。
しかも相手の細かい仕草にいちいち気づくので、人と話したあとに、相手の言葉と仕草を悪い方に考えて想像をふくらませて、それを100回くらい反芻するので、どんどん気分が沈んできます。
大変申し訳ないのですが、超ネガティブなんです。
それがあるから、人が苦手なんでしょうね。
この世の誰もが自分を傷つける存在なんだと思ってましたし、もしかしたら今も思ってるかもしれません。
まぁ、そんなことに積極的になれるほど暇な人間なんていないのは理解してるんですけどね笑
とはいえ、自分がいつまでも自分を傷つけているからこそ、それが自分のなかで当たり前になって、いつの間にか人も同じだと考えるようになるわけです。
だから、自分を他人だと思って「まぁまぁまぁ」と言い続けます。
あとは「とりあえず、この世で一番近くにいるんだし、せっかくだから仲良くしようぜ?」とかね。
ぼくの中の他人のそいつは、いつもほしがってた言葉がありました。
ぼくはその声を無視して罵詈雑言しか浴びせてきませんでしたが、これからは、ほしがってる言葉をあげようと思います。
あとご飯もちゃんと食べてあげようと思いました。
1日におにぎり1個で記事を書き続けて、誰とも話さず1日を終えるとかどう考えてもしんどいですし。
それがあって初めて、そいつはいい仕事をして、いい人生を歩んでくれるんじゃないかと思うので。
とりあえずは、そいつの一番の応援者のような気持ちで、これからそいつがどう生きるのかを見守ってみることにしました。
「お前がどんな選択をしようと、俺は応援してるぞ」ってね。
この世で唯一絶対的に信頼してる親友が言ってくれた言葉ですが、他人の自分がもっともほしがってた言葉です。
この言葉がこれからも、他人の自分を守ってくれることでしょう。
あとはこうして自分との信頼関係を作ったうえで、いろんな責任を果たしていくだけです。
まずは早起きして、写真を撮りにいって、記事を仕上げよう。
あ、あとそうだ。
「思い出が自分を幸せにしてくれんのか」っていうのも忘れずに。
自分を幸せにしてくれるのは目の前にいる誰かと、ある何かでしかないし、幸せにできるのもまた然り、と。
これを忘れると道に迷うので、これも忘れずに生きます。
というのが、ここ3日くらいで考えたことと感じたことでした。
記事にしたのは、
自分の考えをまとめたかったのと、
自分を正しく知ってほしかったのと、
この考えを発信することで、ある種の踏ん切りをつけるためと、
これを読んで
「こんな恥ずかしいことを平気で人前で言えるヤツがいるなら、自分はまだ大丈夫、自分はまともだ」と思ってもらえたらいいなと思ったからです。
自分に刃物を向けない限り、人間はまともです。
自分に刃物を向け始めると何かが狂ってきてる証拠なのですが、「他人に刃物を向けちまったぜ」と思うとまともな思考に戻ると思います。
戻らなかったら、まぁ、仕方ないですが。
まぁそんな感じです。
あ、あとそうだ。
他人からの愛を感じられるのは才能だと思いますよ。
ぼくはできませんが、できる人は本当にすごい。
その才能があれば強いし、生きていけます。
だから大丈夫。愛を感じられれば大丈夫。
感じられなければ、自分を他人と思って優しくしてれば感じられるようになる、はず。
それもこれから、自分で実験してみます。
ここまで長々と書きましたが、ぼくは、もしかしたらうつじゃないのかもしれません。
でも腕に自分で切った傷があるので、うつだったのかもしれません。
ときどきナイフで自分を刺すイメージをするので、今もうつなのかもしれません。
ただ、精神疾患に関して思うのは、精神疾患が人間を知るための研究対象になりうるのではないかということ。
もちろんすでに研究はされていると思いますが。
だってね。
鬱になると存在価値がなくなるとか、鬱になると死ななきゃいけないとか、そんなの悲しすぎるじゃないですか。
鬱になったら、人類の進歩に役立てるくらいに思える方が、もっと楽にうつになれるじゃないですか。
人の役に立てるじゃないですか。
死ななくてもいいじゃないですか。
だからいつか、うつに価値がつく日がくればいいなと思います。
そんな感じです。
それでは!
単純で視点が偏りがちな自分がやっぱりしんどい
こんばんは。
お気づきの方も多いかとは思うのですが、改めて言わせていただきますと、ぼくはけっこう単純で考え方が偏りがちで、頑固な人間です。
ぼくは今日思い知ったんですけど。
いろんな経験をして、いろんな考えを入れて、ようやくいろんな考え方ができるようになったのではないかと思っていたのですが、そんなことはなかったみたいで。
今までやってきた努力は何だったのだろうかと頭を抱えました。
思えば、小学生の頃同級生に言われた
「お前ってほんと単純でつまんないよな」
という一言を、ずっと自分の中に引きずっているのかもしれません。
単純なのは悪いこと、みたいな方程式が自分の中にありまして、なんとか、歴戦の戦略家のような、いろんな考え方を持った人間になりたいなと思って生きてきましたが、どうやら無駄だったようです。
いや、無駄ではないのかもしれませんが、約10年かけて努力して得たものは、
『どんなに努力をしようと、自分の根本は単純』という事実。
自分は変化球を投げたつもりでも、バッターから見ると全部ストレートじゃん、みたいな感じ。
つまり、自分には見えないところがほぼ全ての他人には見えていて、自分は踊らされてる側の人間なのだろうかと考えると、へこみますね。
ただ昔から、人が話してる話題で、理解できないものがあったのは覚えてるんですよ。
たしかその話題は、あの人とあの人の関係性がどうで、自分はあの人にどう見られててどういう関係で、みたいなものだったと思います。
なにそれ、そんなのわかんなくない?
と思ってきました。今まで。
つまるところ、ぼくは他人を正確に見れず、自分の思い込みだけでいろんな判断をしていて、結局1人の世界で生きてる、みたいな感じなんでしょうね。
なんか、自分を押さえつけてる殻の輪郭が見えてきた気がします。
まぁ、なんやかんやで生きてくしかないんですよね。
「与えられたカードで戦うしかない」というスヌーピの言葉を胸に、今日も頑張ります。
できれば、誰か優しい言葉をください。
それでは。
「学校を卒業した先に、生きたい人生はあるのか?」
この問いに対するぼくの答えは、NOだ。
自分で決めて入った学部だけど、地理の勉強をした先に、ぼくの生きたい人生はない。
ここで習った何かしらの知識は役に立つかもしれないが、ぼくは今この瞬間に自分のレベルを上げてくれる経験をしたい。
そこから得られる知識がほしいのだ。
学校が与えてくれる知識はぼくを生かしてはくれないが、自分で取りに行った知識は、お金になってぼくのお腹を満たしてくれる。
それをここ最近、実感している。
結局大体の人が、「学校に行っておけば人生なんとかなる」という幻想に身を委ねて、自分の人生の舵取りを他人任せにしているのではないだろうか。
もちろん、自分で考えて行動している人も多くいるし、ぼくはその人たちを尊敬している。
自分の頭で考えて行動することのしんどさをぼくは曲がりなりにも知っているからだ。
そのしんどさの対価が、自由な人生、好きなことをやれる人生だと、ぼくは思っている。
今ぼくが学校に通っているのは、親への義理だ。
「大学に行かせる」という目的のもとで多額のお金を使ってもらったので、そのお金を無駄にしないためだけに、ぼくは学校にいる。
だけど、大学に通って、学歴を得る以上の見返りが学校以外のところで得られれば、親を説得して辞めるつもりだ。
だから正直、わざわざお金を払って、全員でちょっといいホテルに泊まって、協力して調査をするという学年別の研修なんて行きたくはない。
その研修に行かなければ単位がもらえないなんて、バカにしているのか。
したい調査があるなら勝手に行くのに、形式だけの調査をさせられて、その時間に何の意味があるのだろうか。
なぜ、大して興味もないことにお金をかけなければならない状況に、いなければならないのか。
大学側も、興味がない学生になんか適当に単位を渡して卒業させればよいのではないか。
入学させた以上、最低限の学力を身につけさせる必要はあるのかもしれないが、せめてもう少し転学しやすい環境を作ってはもらえないだろうか。
もとをたどれば大学に"入ってしまった"ぼくが悪いので、うまい逃げ道を探すしかないが、
同時に、「それ以外の選択肢を与えてくれなかった環境」を壊していきたい。