「うつになった」ではなく「うつになれた」というほうが正しい
ぼく、「うつになった」というより「うつになれた」のほうが正しいと思うんですよね。
うつになった時点で、その人が努力家なのは目に見えてるわけじゃないですか。
そんな頑張れる人がうつになるのは、頑張り方を間違えてるか、環境が悪いかだけの話でしかなくて、
正しく頑張れる環境で正しく頑張れれば、結果は出せると思うんですよね。
それを今いる環境でだけ判断して見下すというのは、早計というか能力を正しく判断できない無能というか。
事実、ぼくも大学一年まで何にもできないやつでしたが、自分が自分で戦えるフィールドを見つけて努力した結果、それなりの成果を出せるようになってきたと思います。
まだまだこれからですが。
だから「うつになった」ということは、自分の伸びしろを見つけたことと同義です。
あとは、自分が何をやればうつにならないのかという答え合わせをしていけばいいだけで、
さっさと自分の生きたい道を見つけて歩き出せば、その先に自分の幸せはあります。
そもそも努力家じゃないとなれないので、うつになれたらラッキーです。
そのぶん早く自分の生きたい道を見つけられますからね。
つまりうつの原因は、「今の状況での正しい頑張り方を知らないこと」と「今の環境が自分に合わないこと」のみです。
頑張れないなら逃げましょう。
あなたのもってる価値観は、自分の経験から得たものですか?
そうでないなら、そんな足枷は捨てましょう。
自分を理解してくれない人間なんて、親とか関係なくどうでもいいんです。
支払ってもらった金と時間は、逃げた先で生き残って返せばいいじゃないですか。
ぼくは、自分を理解してくれる人のために全力を尽くします。
・・・というような内容をさっきブログで書いたんですが、ぼくの周りにうつの人はいないのであんまり意味のないメッセージかもしれません笑
7年続いた鬱のトンネルを抜けて、ぼくに起きた大きな5つの変化
こんにちは、松田です。
みなさん、楽しいですか?
最近、7年続いたうつが治って超楽しいです。
腹の底から笑えるって最高ですね。
変な色眼鏡のようなものがなくなって、ごちゃごちゃ考えずに、楽しいものは楽しいと言えるようになった今、最高です。がっはっは
さて、そんな感じに、うつを完全に抜けたと思える今、自分の中に大きな変化があったのでそれをまとめておきます。
変わったこと①『褒め言葉を素直に受け取れるようになった』
今まで褒め言葉をいただいたことはあったと思うんですが、全部忘れるよう意識しながら生きてきました。
「褒められるほど自分はできてないし」
「裏では『まぁ全然ダメだけどね』とか思ってるんじゃ?」
「褒められていい気分になってると足をすくわれる」
みたいなことをずっと思ってたんです。実は。
だからあんまり褒められた言葉を覚えてません。
「インタビュー記事は上手だね」と言われたのは覚えてます笑
で、うつを抜けた今、褒められたら素直に叫ぶくらい喜べます。
自分がやってることで手を抜いてることはほぼないし、あったとしたら自覚はしてるし、少なくとも責任はもっている。
それをわかっているから、いただいた褒め言葉に見合う働きはしてると思えるようになったので、褒められると嬉しいです笑
変わったこと②「自分を責めなくなった」
前まで、ずーっと自分を責めてたんですよ。
責めてたというか、自分はとくに何もしてないのに、罵詈雑言を吐いて自分にナイフを突き立てる、みたいな感じ。
完全に通り魔です。
前までは常に、通り魔が自分の四方を固めてた感じなんですが、今はいなくなりました。
平和な世界になりました。最高です。
今自分を責めるような言動を自分にすると、自分に怒られます。
不思議な感じですが、自分の頭が思ってることと違うことを言うんですよ。
自分の心が意思をもってるといいますか、自分の中の自分は、よく知ってるようでまったく知らないやつなんだなと思う日々を過ごしてます。
おかげで、これから知っていこうと思えるし、どんなやつなんだろうかとワクワクしてます。
自分に対してそう思えるようになったおかげで、周りの人にも同じように思えるようになり、いい感じです。
人間最高。
変わったこと③「人間への怖さがなくなった」
もうね、前まで本当に人間が怖かったです。
いつ傷つけられるかと常にビクビクして他人の動向を見続けて、何かされようもんなら速攻で逃げるか反撃してやる、という勢いが、とくに初対面の人と話してるとありました。
根っこがネガティブだったので、完全に性悪説信者でしたね。
このドアを開けたら殺されるんじゃないか、しゃべったら殺されるんじゃないかとか思うこともありました。
だから人と会いたくなかったし、話もしたくなかったんですよ。怖すぎて。
ですが、ネガティブな色眼鏡がなくなると、「性悪な人なんてほぼいないじゃん」と思えるようになりました。
みんなそれぞれ個性があるだけなんですよね。
ネガティブな気持ちなんて、しょせん人が作り出したものでしかないということの証明です。
考え方で見方は変わります。
変わったこと④「『いつ死んでもいいや』と心から思えるようになった」
すごく逆説的なんですけど、マジなんです。
うつの状態っていうのは、心が自分を守ろうとする防衛反応なんですよね。
深爪したときの痛みと変わらないわけです。
「これ以上爪切るとやばいぞ」と教えてくれてるわけです。
つまり、うつというのは、身の回りの脅威から自分を守ろうとしてくれてるのです。
しかし現代の日本では、「うつは気合いが足りない証拠だ」なんていうゴミみたいな勘違いが大手を振っているので、自分で自分の心の叫びを押さえつけてしまうんですよね。
そうした結果、自分の中のストレスっぽいのが振り切って心の守備範囲を超えてしまうので、心が壊れて死ぬんです。
つまりうつは、生きることへの執着があるから出る症状なわけです。
さて、じゃあ今のぼくが生きることへの執着がなくなったのかといえば、そうではなくて、
「そもそも自分を大事にできるようになったので、当然のように危険は避けるようになった。それでも避けきれない脅威がきたら、そのときは諦めがつく。だって精一杯生きてるし」みたいな感じです。
ぼくは生きることに対してこれ以上できることがないので、あとは天任せです。
死ぬときは死ぬし、生きるなら生きる。
そんな気持ちなので、余計なことを考えなくていいぶん楽です。
変わったこと⑤「自分の人生を生きられるようになった」
努力したいことと、諦めていいことが完全に分かれました。
ぼくはライターとして生きたいし、靴を磨き続けてたいし、大事な人の役に立っていたいので、そこに関してはどこまでも努力をする。それ以外はどうでもいい。
手が届くなら取るし、届かないなら、今そのタイミングじゃないのかもしれない。
いつか取る。
そんな選択ができるようになりました。
ぼくは、ぼくの人生の主人公です。
ぼくの先に道はなく、ぼくが歩いてきた道が、言葉になり、言葉が紡がれてストーリーになるんです。
だから自分がどんな人生を歩みたいかを考えても無意味。
人生は思い通りにいくほどちょろいもんじゃないのを痛感したし、思い通りにいかないほうが楽しい。
だからどう思い通りにいかすかを考えるのも楽しい。
その楽しさを、「正解の人生」を求めてフイにするのはもったいないと思いますよ。
そんなわけでぼくは今、「生きてるなぁ」と心底思います。
最後に、書きたいことを書きたいだけ書きますね
今にして思えば、「死ねよ」と言われ続けた人間がまともになれるわけはないですし、そんなの嫌ですね。
でも自分にだったら言っちゃう気持ちはすごくわかる。
それを言わないと自分が甘えてしまうんじゃないか、ダメになるんじゃないか、みたいな気持ちが出てくるのもわかる。
けど、自分に厳しい言葉をかけ続けるほうが甘えてるんですよね、本当は。
だって、自分を動かすのに、そのほうが楽じゃないですか。
自分を他人から守れるし、頑張ってるように見えるし、自分を罵倒するのはいいことが多いんです。
まぁ、心が死んでいくのと引き換えですけど。
やっぱり、笑顔で人と関われる人のほうがいいし、関わる人がみんな笑顔で人を動かせる人のほうがかっこいいですよね。
自分に厳しい言葉をかけるというのは、王様が命令してるのと同じです。
そんなもん、体がそのうち謀反を起こします。
だから普段から、自分がどうしたいのかを聞いてあげて、その通りに動いてほしいなと思います。
とはいえ、自分の思い通りに動くのは、そもそも自由な環境にいないとできないじゃないですか。
そんなときはせめて、理不尽なことに対しては怒りましょう。
自分を大事にする権利を奪われたときは、怒ってもいいし、それがまともな反応だと思いますよ。
「自分を大事にする」というのは、甘やかすということではなくて、自分が生まれながらにもっている権利を守るということだと思います。
だからぼくは、『選ぶ権利』を奪われたら全力で抵抗します。
絶対に許しません。
まぁでも、自分を大事にするなんて絶対にできない環境にいる人もいるので、ぼくはなるべく自分にできることを増やしていこうと思います。
あ、あとあれです。
「うつだけど、今の場所にいつづけないと生きていけないから、いつづける」
という選択をしちゃうことってあると思うんですけど、現状維持を選ぶと99%死ぬと思います。
でも逃げ出してみると、生き残る確率は上がるんです。
だって、逃げた先は未知じゃないですか。
もしかしたら即死かもしれないけど、今とは真逆に、最高の人生を歩めるようになるかもしれない。
だったら、黙って余命を迎えるよりも、できる限りあがいて生き残ったほうがいいと思いませんか?
まぁそのへんは人それぞれかもしれませんが、今の時代、2年しか義務教育を受けてないのに、社長になってコンサルしてる人もいるくらいだし、
そういう人の自伝もあふれてるわけじゃないですか。
参考にするには十分すぎるほどあるし、今いる環境から逃げ出した先で自分を生かしてくれるのは、『生きる覚悟』です。
それがあればなんだってできるし、生き残る確率は99.9%に上がります。
今の時代、死にたくても死ねないんですよ。
死ぬ苦しみをとことん教えられてきたし、なんだかんだ生き残る道は見えてしまうし。
だからといって、生きてれば幸せになれる、なんてことは言いません。
幸せは自分で決めるしかないのです。
「これが幸せだ」と思えれば幸せです。
裏を返せば、幸せの基準をもってれば、生きてると幸せになれます。
すべては自分次第!
最後にもう一つ。
ぼくは、鬱になってよかったです。
だって、鬱になったときの景色は自分しか見れないじゃないですか。
鬱の原因は人それぞれだし、他人の理解を得れるものじゃないので。
しかも、幸せなだけの人が見れない景色を見れたので、人より人生に幅をもたせられたなと思うと、ちょっとだけ得した気分です。
しかも鬱の治し方も見つけたので、これからは自分の鬱の部分の力を借りながら、協力して人生を良くしていけます。
これは、鬱になった人だけがもつ特権です。
自分の中の自分と仲良くなった僕たちは、二人なんです。
散々いがみあった自分だからこそ、最高の友達になれるし、戦友になれます。
これは、必ず。
鬱になった誰もがそうなれると信じてます。
結局、自分がもってるカードで戦うしかないんです。
その戦い方を考えることが人生の醍醐味だし、その戦い方が自分のアイデンティティになっていく。
それが自信になって、自分の人生を充実させてくれるんです。
僕たちは今、『鬱になった』という最強のカードを手に入れたんです。
これは、後天的にもらえるラッキーカード。
このカードをどう活かしていくかは自分次第だし、確実に自分の人生を良くしてくれますよ。
という話ができるのも、ぼくの腕に傷があるからです。
この傷に誇りを持てればいいなと思ってましたが、案外早かったですね。
ぼくはこの傷を使って、より多くに選択の自由を得てもらって、より多くの人に幸せだと思える人生を歩んでもらえるよう、頑張ろうと思います。
その一歩が、「生き方を考えるプログラム」なので、これから形にしていこうと思います。
それでは、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
これからもよろしくお願いします!
靴磨きのサービス名を決めました
サービス名は、『ナガク』です。
靴とは人の相棒でありまして、一緒に歩んでくれる存在です。
靴を選ぶときって、いろいろ考えて、いろんな靴を見て、自分に合うかを確かめてから買うじゃないですか。
そうして選んだ靴だから、できる限り長く履いていたいですよね。
できる限り長く履けるよう、靴磨きや補修をするのがぼくの仕事かなと思いまして、『ナガク』にしました。
あとは、靴磨きを始めてからまた繋がった縁もありますし、
自分の靴が綺麗な限り、繋がり続ける縁もあるので、そんな経験もあって、
長く人と繋がっていられるサービスにしていきたいという思いもこめております。
サービス自体も長く続けていきたいですし。
靴とあんまりかかってないような気はしますけど笑
まずはサイト作りを頑張ります!
あと、ここ最近はけっこう死んでましたが、今日、初めて自分の中の人と仲良くなれたので、これから何でもできそうです。
「自分は他人」と思うことで自分について見えてきたことがたくさんあるし、今まで押さえつけてたそいつと話してみると、
予想外の返事がきて楽しいです。
いい友達になれました。
明日から頑張ります。
というわけで、今日は祝杯を。
全身に防水スプレーをかけると雨に濡れないのか
こんにちは、松田です。
昨日、ずっと前からオススメされてた漫画『Giant Killing』を読みました。
めーちゃくちゃおもしろいですねあの漫画。
また、マンガ喫茶に通いつめる日々がやってきそうです。
さて、そんな前フリは言いたかっただけでして、今日、雨が降ってるじゃないですか。
雨を見て思ったんですよ。
「全身に防水スプレーをかけると、雨に濡れないのかな?」って。
まぁ野生のyoutuberみたいな発想ですが、試してみようと思います。
まず用意するのはこちら。
靴用の防水スプレーです。
これしか手元にありませんでした。
防水スプレーを、まずは服に吹きかけていきます。
裏表、まんべんなくかけていきます。
撮り忘れましたが、ネクタイにもちゃんとかけました。
スーツを選んだのは、水の染み込み具合がわかりやすいかと思ったからです。
あとほんとは体にもかけたかったのですが、ここらで防水スプレーが底をついたのと、新しいスプレーを買うお金が用意できなかったので、これを全身と呼ばせてください。
靴に関しては、片方だけ防水スプレーをかけてみました。
右が防水スプレーをかけた靴で、左が鏡面磨きをかけた靴です。
この写真を見て、防水スプレーをかけないほうがいい靴もあることを学びました。
さて、そんな感じで準備は完了です。
さっそく出かけてみましょう。
今回は、土砂降りの中、100mほど離れた駐車場にある車のなかから傘を取ってくるというミッションです。
写真だと伝わりづらいですが、降ってますよ。
ちゃんと降ってます。
ちょっと歩くとまあまあ濡れます。
そんな濡れてる感ないですけど。
でもいい感じです。
ちゃんと水をはじいてます。
防水スプレーさえかけておけば、革靴で水溜まりに飛び込めます。
そんな感じで傘を取り、帰還しました。
さて、結果は!
まぁまぁ濡れたけど、そこまで水が浸透してはいない、という感じ。
ちなみに靴ですが、
鏡面磨きをかけた方は軽くふくと、
元通りピカピカに光ります。
これに関しては、さすが自分と思いましたね。
防水スプレーをかけた方はちょっと表面がざらっとしちゃったので、つやつやしてる革は防水スプレーではなく鏡面磨きで防水をするのが一番です。
今度は、いろんなスプレーをそろえて全身にかけて、台風に打ち勝てるかというチャレンジをしてみたいと思います。
そして、今日晴れたらいいですね。
それでは。
自分を大事にしてあげてみよう
こんばんは。松田です。
中二の6月だった気がします。
塾で授業を受けていたあのとき、ぼくはノートの上の端に書きました。
『お前は一人だ。』
自分がしんどくたって、誰も気にしちゃいねぇよ、というのを自分に言い聞かせてたわけです。たぶん。
もともと感情を言葉にするのが苦手なので、気づいてもらう努力もできないんですよね。たぶんですけど。
だから、自分は一人だと思い込むことで、その努力から逃げようとしたわけです。
実際逃げてきたんですけど。
そりゃあね、親も気づかないわけです。
そもそも1日に2言くらいしか話をしなかったし。
そうして人には頼れないと思い込んできて7年ほど経ちまして、気づけば自分に「死ねゴミクズ」か「殺すぞカス」か「いいから早く殺されてくれ」しか言えない人間になりました。
残念ながら。
『自分が好き』なんてありえない。
この世にいないのが当然の人間なんだと思ってきました。
でも、昨日読んだ『うつヌケ』という本にこんな言葉がありました。
↑この本です。
15名のうつになった原因と、それをどう治したかという解決策。
そこから導いた、うつになったときの対処法、精神科医的視点でのうつの治し方が、マンガでわかりやすく描かれた名著でした。
載ってたのは「自分を他人だと思うことで、優しくできる」という言葉。
なるほどなぁと、納得しましたね。
やってみると、たしかに優しくできるし。
自分を自分だと思うから、ぼくの世界には常に自分しかいないんだなと。
自分を他人だと思えば、ぼくの世界には他人しかいないんだなと、気づきました。
自分は一人だけど、他人は70億人くらいいるので、『自分は他人』と思うだけで、ぼくの世界は広がった気がしました。
ぼくはけっこう、気分の浮き沈みが激しい方だと自覚しています。
しかも、わりと攻撃的なほうが多いです。
でも、ぼくが攻撃的なのは、ぼくがぼくを守ろうとしてるからなんです。
人に近づきすぎて傷ついたトラウマがあるから、2度とそうならないよう、自分が不安定なときはなるべく人を遠ざけようとする自己防衛なんです。
その、守ってくれてた自分がおそらく本当の自分なんだと思うんですが、今日をもって解任です。
「ぼくと君は他人同士だから、これからは好きに生きてくれ」と、お別れをしました。
トラウマなんて、もう一回同じように傷ついてみれば治ると思うので、できる限り人に近づいてみようと思います。
あとぼくは、めちゃくちゃ被害妄想をします。
自分を傷つける可能性をすべて予測して身構えて、来たと思えば速攻で反応します。
だから、人の言葉は99%悪い方にとって、そこから想像をふくらませます。
しかも相手の細かい仕草にいちいち気づくので、人と話したあとに、相手の言葉と仕草を悪い方に考えて想像をふくらませて、それを100回くらい反芻するので、どんどん気分が沈んできます。
大変申し訳ないのですが、超ネガティブなんです。
それがあるから、人が苦手なんでしょうね。
この世の誰もが自分を傷つける存在なんだと思ってましたし、もしかしたら今も思ってるかもしれません。
まぁ、そんなことに積極的になれるほど暇な人間なんていないのは理解してるんですけどね笑
とはいえ、自分がいつまでも自分を傷つけているからこそ、それが自分のなかで当たり前になって、いつの間にか人も同じだと考えるようになるわけです。
だから、自分を他人だと思って「まぁまぁまぁ」と言い続けます。
あとは「とりあえず、この世で一番近くにいるんだし、せっかくだから仲良くしようぜ?」とかね。
ぼくの中の他人のそいつは、いつもほしがってた言葉がありました。
ぼくはその声を無視して罵詈雑言しか浴びせてきませんでしたが、これからは、ほしがってる言葉をあげようと思います。
あとご飯もちゃんと食べてあげようと思いました。
1日におにぎり1個で記事を書き続けて、誰とも話さず1日を終えるとかどう考えてもしんどいですし。
それがあって初めて、そいつはいい仕事をして、いい人生を歩んでくれるんじゃないかと思うので。
とりあえずは、そいつの一番の応援者のような気持ちで、これからそいつがどう生きるのかを見守ってみることにしました。
「お前がどんな選択をしようと、俺は応援してるぞ」ってね。
この世で唯一絶対的に信頼してる親友が言ってくれた言葉ですが、他人の自分がもっともほしがってた言葉です。
この言葉がこれからも、他人の自分を守ってくれることでしょう。
あとはこうして自分との信頼関係を作ったうえで、いろんな責任を果たしていくだけです。
まずは早起きして、写真を撮りにいって、記事を仕上げよう。
あ、あとそうだ。
「思い出が自分を幸せにしてくれんのか」っていうのも忘れずに。
自分を幸せにしてくれるのは目の前にいる誰かと、ある何かでしかないし、幸せにできるのもまた然り、と。
これを忘れると道に迷うので、これも忘れずに生きます。
というのが、ここ3日くらいで考えたことと感じたことでした。
記事にしたのは、
自分の考えをまとめたかったのと、
自分を正しく知ってほしかったのと、
この考えを発信することで、ある種の踏ん切りをつけるためと、
これを読んで
「こんな恥ずかしいことを平気で人前で言えるヤツがいるなら、自分はまだ大丈夫、自分はまともだ」と思ってもらえたらいいなと思ったからです。
自分に刃物を向けない限り、人間はまともです。
自分に刃物を向け始めると何かが狂ってきてる証拠なのですが、「他人に刃物を向けちまったぜ」と思うとまともな思考に戻ると思います。
戻らなかったら、まぁ、仕方ないですが。
まぁそんな感じです。
あ、あとそうだ。
他人からの愛を感じられるのは才能だと思いますよ。
ぼくはできませんが、できる人は本当にすごい。
その才能があれば強いし、生きていけます。
だから大丈夫。愛を感じられれば大丈夫。
感じられなければ、自分を他人と思って優しくしてれば感じられるようになる、はず。
それもこれから、自分で実験してみます。
ここまで長々と書きましたが、ぼくは、もしかしたらうつじゃないのかもしれません。
でも腕に自分で切った傷があるので、うつだったのかもしれません。
ときどきナイフで自分を刺すイメージをするので、今もうつなのかもしれません。
ただ、精神疾患に関して思うのは、精神疾患が人間を知るための研究対象になりうるのではないかということ。
もちろんすでに研究はされていると思いますが。
だってね。
鬱になると存在価値がなくなるとか、鬱になると死ななきゃいけないとか、そんなの悲しすぎるじゃないですか。
鬱になったら、人類の進歩に役立てるくらいに思える方が、もっと楽にうつになれるじゃないですか。
人の役に立てるじゃないですか。
死ななくてもいいじゃないですか。
だからいつか、うつに価値がつく日がくればいいなと思います。
そんな感じです。
それでは!