物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

ぼくは何がしたいのだろうか

あれがしたい。これがしたい。

いつもそんな言葉を口にするけれど、それは本当にしたいことなのか?

無理をしているのだろうか?

ぼくが本当にしたいことは、ぼくの知識の外にあるのだろうか?

そもそも、やりたいことだけをやるべきなのだろうか?

わがままなのではなかろうか?

でも、自分の心が言っていることに従ってはダメなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

こんなことを考えられるということは、

 

 

暇なんだね。

とりあえず頑張ろ。

自分にインタビュー「考え方に正解はなくて、人それぞれ信じている原則があるだけ」

松田「松田さんって、昔から『何を信じて生きたらいいかわからない』って思いながら生きてたじゃないですか」

 

松田「そうですね。親も塾の先生も学校の先生も、じいちゃんばあちゃんも、大学で出会った人たちもみんな、テンでバラバラなことを言っていて、ぼくは何を信じていいのかわからず、迷っていました。それは、ぼくが自分の人生で失敗をしたくなくて、正解を求めていたからです。出会う人に、これからどんな価値観、考え方をもって進んだら正解かを求めていた。」

 

松田「でも、最近は正解なんてないことに気付かれたんですよね。何があったんですか?」

 

松田「とくに、この瞬間を機に気付いたというのはないのですが、ライターという道を選んで進んでいく中で、徐々に気付いていきましたね。ライターを始めてから多くの大人の方と、ライターとして、責任を負って仕事をしているという意味での一社会人として話してみると、意外とみなさん迷いながら仕事をされていたんです。成功をおさめているように見える人でも試行錯誤の途中だし、自分で考えて答えを出しながらやってきた結果が今というだけで、みんな途中なんだというふうに思ってからは、正解なんてないのだという証拠探しを始めました。そしたら、誰も自分の人生に対する正解をもっていなかったので、自分も踏ん切りがついた感じですね。正解を人に求めてもないし、自分で作るしかないと。だから今、試行錯誤してみてます。全然結果が出ないのが悔しいですが、この時期を耐えて結果が出ると、大人のみなさんが経験してきたような嬉しさを自分も味わえるんだろうなと思えて楽しみです。」

理解することは、わかること。そのままを認めること。感じること。

ずっと、違和感があったんですよ。

人と一緒にいるはずなのに、いつも一人ぼっちだったから。

考えてみると、理由は簡単でした。

ぼくは誰のことも理解していなかったし、受け入れていなかったから、一人だったんです。

 

理解というのは、相対するものを自分の解釈に閉じ込めることではなくて、そこに存在するものをわかることだと気づきました。

そこに積極的なスタンスはいらないんです。たぶん。

あるがままを感じて、受け入れればそれでいい。

昔お会いしたアダム・カヘンというファシリテーターが「Understanding is feeling」と言っていましたが、2年経ってようやく言葉の意味がわかりました。

 

ぼくは、理解しようとしたから排除したんです。

理解しようとする過程で、好き嫌いの判断をして自分の解釈のフィルターにかけ、排除してしまった。

ぼくはただ、わかってあげればよかった。

これからは、そういうスタンスでやっていこうと思います。

理解と受容と、事実と解釈と、ニヤニヤすること

松田「どうですか、松田さん。堀内さんとお話したその後。」

松田「今の心のなかは、ものすごい反省と、新しい景色を見れるワクワクと、今までの自分のなかの常識がひっくり返った驚きで満ちていますね。」

松田「いろいろ感じることがあった、ということはわかりました。一つづつお聞かせください。まず、反省というのはどういうことですか?」

松田「これは、今までの自分が、人への理解をおろそかにしてきたことに対する反省です。ぼくはずっと、ぼくのことばっかりでした。他人をぼくの目線でしか見ず、ぼくの立場からでしか理解しようとしない自分がいかに小さい人間であるかに気付きました。」

松田「なぜ、それが小さい人間なのですか?」

松田「目の前に存在している事実を認めていないからです。例えば目の前に、人がいたとする。そこには肉体と精神が存在していて、その肉体は脳のクセやDNAに刻まれた行動原理、今までの経験やそれによって形成された性格などによって選択をし、行動しているわけです。でもぼくは、その事実を自分のフィルターを通すことによって見なかったことにして、ぼくの考えを押し付けてきたんですよ。『お前はそんなやつじゃない』とか『なんでこんなこともできないんだ』なんて言いながら。」

松田「それのどこが悪いんですか?」

松田「目の前に存在している事実を認めないというのはつまり、子どもが駄々をこねているのと同じなんです。自分に都合の悪いことは受け入れたくない、嫌いなものは受け入れたくない、見たくないものは見ない、という感じでね。」

松田「あなたが辞めさせたあの子に対する態度は、そうでしたね。」

松田「はい。もちろん、あの子にしたことは、ぼくは一生忘れません。自分への戒めです。自分は正しかったと思っていますし、謝る気はないですが、これからの自分は人の心を救える人間であれるように努力をするつもりです。贖罪と言えば、そうなのかもしれません。唯一はっきりしているのは、子どもから大人になるべきときが来たということです。」

松田「これから関わる人たちに、どんなに小さい幸せでもいいから、それを分かち合える人間になれる努力をしてくださいね。」

松田「自分の成長とか、自分の夢とかよりも前に、好きな人と一緒にいられる人間でなくてはどんなに自分のことを追いかけたところで幸せは永遠に来ないと思ったので、そうします。もう手当たり次第に傷つけるのは嫌だ。ふわっと包み込めるような、そんな人間でいたいです。」

松田「そのために必要なのが、遺伝子レベルでの理解。各論と総論での理解。会話をすること。わかること。ラダーの一番下でわかること。そして、受け入れること、でしたね。」

松田「そうですね。だから聞く。とにかく聞く。今日ひっくり返った自分のなかの常識というのはこれで、ぼくは今まで、人の話を聞いていなかったんです。」

松田「『自分は聞き上手だ』なんて思っていたあなたがどうしてそう思うのですか?」

松田「今日聞いたことなのですが、『言葉を受け取るとき』のレベルは5つあるんです。1つ目は『聞く』、2つ目は『理解する』、3つ目は『』『納得する』『行動する』。」

松田「3つ目は?」

松田「すみません、忘れました。正しいコミュニケーションというのは『互いに言っていることがわかる』ものなんだそうです。で、言葉を受け取るときには『わかる』必要がありまして、これがないと相手に自分の言葉を受け取ってもらえません。」

松田「ぼくのコミュニケーションは、ものすごく表面的と言われましたね。」

松田「本質を理解していないんですよね。ぼくのコミュニケーションは、はいはい頷いてるだけだから。自分は理解力があると自惚れて、聞く努力、理解する努力をしていないから、浅いんです。だから今のぼくがするべきことは、聞くこと。とにかく聞くこと。これからの取材が楽しみです。」

 

事実と解釈

松田「もうひとつ大きなトピックとして、事実と解釈がありましたよね。」

松田「起こったことが事実、自分のフィルターを通して出したものが解釈。これらを混濁させると、物事を正確につかむことができなくなる、というやつですね。」

松田「これらを分けて自分のなかに整理するツールとして、ラダーがあるんでしたよね?」

松田「各論と総論で物事をとらえろ、というお話でしたね。」

松田「各論と総論って、何でしたっけ?」

松田「各論は、存在する事象を指すことです。例えば、机に溝がある、机の色は茶色、机のブランドは〇〇、みたいな。一方総論は、それらの共通項を押さえてまとめることです。各論が具体的、総論は抽象的、という言い方もできますね。」

松田「各論と総論・・・まったく新しい物事の捉え方ですね。」

 

ニヤニヤすること

松田「そういえば最近、ニヤニヤすることが増えてきてませんか?」

松田「多いですね。なぜか、落ち込んでも数分でニヤニヤするようになりましたね。」

松田「何かあったんですか?」

松田「おそらく、自分のなかで軸が定まったんだと思います。かつ、どうなりたいかが明確になったので、視界が晴れたような気持ちなんです、今。」

松田「軸とは?」

松田「自分が一緒にいたい人たちと一緒にいるために、価値を発揮する。選択肢のない場所・人に、その人が潜在的に求めている情報を届くように渡して、選択肢を増やしてもらう。自分の今見えている世界の外に、自分が楽しく過ごせる環境があることを知ってもらう。とにかくおもしろいものを作る。というのが、ぼくの軸です。」

松田「情報がないから窮屈なんですよね。情報がないから満足のいく生き方を選べないんですよね。それは、山口から出てきて、沖縄でいろんな人や情報に出会って痛感しました。ぼくたちには絶対に、じぶんが幸せに生きられる世界が地球上のどこかにあります。」

 

話は全然まとまってないけどまとめ

松田「ぼくの今の課題は、話をラダーの1番下で聞き、理解して受け入れること。事実を認めること。事実と解釈を分けること。」

松田「菩薩になろう。受け入れよう。」

松田「あ、あとひとつ発見がありましたよね。やっぱりぼくは、調子に乗るべきなんです。調子に乗ると、物事がうまくいっているように感じるし、実際にうまくいってたことも多かったですよね。で、成長のタイミングになると、誰かが叩き潰してくれる。潰されて初めて感じる苦しみが、ぼくを成長させてくれる。正確には、その苦しみから早く逃れたくて努力をするから、変化できる。そして変化した自分が伸びるのが、調子に乗っている時期。だからとことん調子に乗ろうと思います。潰してくださるみなさま、ありがとうございます!」

 

最後に

ずっと松田と松田の会話調で書いてきましたが、安心してください。気が狂ったわけではありません。