物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

優慮

 「優しさとは、しないことである」と、何かで読んだ気がする。何かは忘れた。だが、それだと思った。

 ぼくの両親は、とてつもなく過保護な人だった。学校に行く準備も、夏休みの自由研究も、習い事も、子供の着替えも、旅行の準備も、雨に濡れた靴の始末も、朝起こすのも、ぜんぶ自分たちがやってしまう人たちだった。その行為に、子供の人生を自分たちの思い通りにしたいという支配欲のようなものを感じて、過干渉で過保護なやり方が嫌だった。大学に入り、一人でできることの少なさを痛感して、そう育てられたことを憎んだこともある。今となっては、その気遣いを享受しながらできることは全部やろうという気持ちなので何とも思わない。そしてあの過保護は、受けてよかったなと思う。

 両親の何が嫌だったかと言えば、時折「こんなにやってあげてるんだから感謝くらいしなさいよ」という言葉だった。嬉しくないことをされて感謝なんかできるかと心の中で叫んだのを覚えている。その瞬間が、人に何かを施すことは優しさではないという教訓をくれた。本当の優しさとは、その人が苦悩する時間を邪魔しないことだと考える。人は自分の人生しか生きられず、誰もが生きる力を培う必要がある。そしてそれは苦悩の中でしか育たない。結果的に試行錯誤する時間を奪うのは、”相手のため”にはならない。

 「優しさとは、残酷なものである」と、何かで読んだ気がする。それだと思った。

遺伝

 今までは気づかないふりをしてきたが、認める。ぼくの行動は、けっこう母親に似ている。

 台風が来た日、ホームに食料やお菓子を持ち込んで友達と遊ぶ準備をしていた。滅多に休まない学校が休みになり、最接近の数時間前から凄まじく吹き荒れる外の風景を見ながら、せっかくの大型台風を楽しもうと数年ぶりに徹夜でゲームをしようと決めた。率先してゲームをセッティングし、持ち込んだ炊飯器でご飯を炊いて「ご飯が炊けたら卵と醤油があるから卵かけご飯にして食べ」と友達に声をかけ、2人分の味噌汁を作って「遠慮せんと飲み」と言いながら置き、お菓子を用意して「好きなだけ食べてええよ」と言って、気づいた。身の回りの世話を全部やってしまうその過保護な感じが母親に似ていた。

 もともと、やるべきことがあっても目の前で誰かが困っていたら、あっさり優先順位を変えてしまうところが自分っぽさだと感じていた。世話好きとは真反対の人間だと、自分を認識してきたが、やはりそうではなかったようだ。母親のようにはなるまいと思ってきたものの、無意識に真似るべきところは真似てきたみたいで、だからなのか、母親と仲直りして自分を素直に出せるようになったからなのか分からない。だけどそんな自分は嫌いじゃない。

 人に尽くすことで、何か見返りを求めているわけではない。ただ目の前の人がその時間を心地よく過ごせればそれでいい。母親もそんな気持ちなのだろうか。

告白

 今日は、あの夜の出来事を文字にしようと思う。今も続けているインターン先の面接を終えた日のこと、「ちょっと今から告白してきます」と今の上司に言って出かけた夜のことを。

 きっかけは前日、移動中の車での出来事。何気なく話しているときに突然「好きだ」という気持ちが溢れてきて、つい言葉にしてしまった。「あの好きって人として?それとも女の子として?」というLINEがきて、ちゃんと言葉にしようと覚悟を決めた。そしてモノレール駅の下に呼び出し、向かい合ったのがその夜だ。覚悟を決めた割には、ちゃんと言葉にするまでえらく時間がかかった。体感にして1時間、実時間は約15分。途中、犬を散歩させているおじいちゃんに絡まれ、犬をなでるなどしていた。それ以外は押し黙ったまま、過ぎていく時間を数えつつ何を言うかで頭がいっぱいだった。頭の中で、ジャグジーの泡のように言葉が沸いていた。目の前の女性に首を縦に振ってもらうため、一世一代の大勝負だった。あれほど緊張した時間はない。

 結局、何を言うかまとまらなかった。すべてを運に任せて話を始めた。そしてこう言った。

 「好きです。君といれば、僕は何だってできると思うんです。だから付き合ってください。」

 文字にするとずいぶん独りよがりな告白だが、だいたいそんなもんだと軽く流していただきたい。ちなみにそこでは断られ、翌週、一緒に食事に行くなどしてオッケーをいただいた。

物語

 自分の人生を、物語としてプレゼントしたいと思う。出会ってから死ぬまでのすべてを、心に残る小説のようにして。先に死んだら遺骨からダイヤモンドを作ってもらってそばに居続けるというような、死んでなお美しく続く物語として。

 生きる意味を探してきた。「お前は一人だ」とノートの端に書き込んだあの日から。それは本のなかにあるんじゃないかと思って本を読んだ。誰かのために強くなることがそれだと思った。体と心を鍛えた。しかし待っていたのはそれまで以上に自分を嫌いになる日々。笑うことと泣くことを、何かに怒っている自分が押さえつけ始めた。痛いと叫ぶ自分を無視していると、無感情のままその日を終えるようになった。腕を切って血を流し、生きていることを確かめた。環境のせいにして逃げたあとも、ぼくはぼくを必要としなかった。

 出会ってから、ぼくは2度裏切った。そんなぼくを必要としてくれた。自分が自分を裏切ってきたから、他人ならなおさら。どうせ裏切られるのなら、自分の都合だけを優先しようと思って裏切ったぼくを、呆れながらも許してくれた。ゴミクズのようだったぼくに、絶対になくならない居場所をくれた。そこで生きることが、ぼくの生きる意味になった。

 一度死んだから君のために命を使うというような、大層なことじゃない。先に誕生日のプレゼントをくれたお返しに、喜んでもらえるプレゼントをしたい。そんなとこです。

授業

 大学に対して不真面目なまま4年半が過ぎた。課外活動に精を出し、休学などをして「自分の人生のためだ」という大義名分のもとにいろいろ頑張った。実際、それらの経験は自分を好きにしてくれたし、人生のパートナーを贈ってくれた。過去の自分がしてきた選択を、ぼくは誇りに思っている。だがぼくは、学校という存在が自分にとって無利益なものであると頑なに拒み続けてきた。それはなぜなのか。先ほど受けていた日本史の授業の時間に答えが出た。

 大学の授業とは、セックスなのだ。それはどちらも、両者の積極性なしには始まらない愛の行為。授業とはそもそも、ほとんど誰もが受け身になってしまう時間。そんな状態で授業を受けても楽しいわけはない。マグロで良いわけがない。それに気づいたとき、自分の態度を棚に上げ、授業のやり方や在り方を批難してきた自分を恥じた。授業もセックスも、楽しむためには勉強をして取り組み方を学び、互いに気持ちよくなることで成立する行為。当たり前の日常として存在した授業だからこそ、当たり前のことを忘れていた。

 極論を言えば、ぼくは教授の前に裸を差し出せるくらいの気持ちで彼らに愛を伝えたい。彼らの研究者としての生き様、思考に費やした時間、調査に歩き回った距離、それらすべてを愛そう。それは決して上から注ぐものではなく、上目遣いを向けるものでもない。人として対等に、教授も大学も愛し尽くして卒業しようと思うのだ。