物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

ぼくは、「普通」でありたくない

こんにちは。松田です。

ぼくは、考え方の軸に「変でありたい」というものがあります。

普通のひとでいたくないのです。変なひとでいたい。

普通のひとと言うのは、なんというか、「誰かと似てる」とか「どこにでもいるひと」的なニュアンスです。

変なひとというのは、よくわからない行動を取るし、その行動の理由を聞かなきゃ理解できない、もしくは聞いても理解できないようなひと。

そういう人が大好きだし、自分もそうありたいのです。

 

というのは、ぼくの親が「普通」だったからなんです。

ぼくの親は両親とも「普通」で、いつもぼくに「普通であること」を押し付けてきました。

「勉強をするのが普通だからしろ」「22時に寝るのが普通だから寝ろ」

彼らの行動の理由は常に「普通だから」でした。

彼らはそうやって、「普通だから」結婚して、「普通だから」子どもを産んだんでしょう。

結婚や出産の経緯は知りませんが、「普通だから」生きてきた彼らは、ぼくが物心ついたときにはすでに不幸そうな顔ばかりしてました。

毎晩酒を飲んではキレ散らかし、「俺のこと嫌いだろ?」と子どもを問い詰める父親、呆れて逃げつつ、「これだけやってあげてるんだから感謝しなさいよね」と子どもに感謝を強要する母親。

「普通だから」生きてきた彼らは、なんだかもう限界だったように、ぼくの目には映っていました。

そんな彼らを見て育ったぼくは、「普通」のままいると不幸になるんだなと思ったのです。

 

ただ、その環境で育ったぼくも、当然のように普通でした。

言われたことをきちんとこなし、上っ面だけ優しく、マッシュルームヘアな少年でした。

だから、普通に同じ感じの友達と、仲良くやれるのかと思いきや、無理でした。

中学くらいでぼっちになりました。

正確には、周りにひとはいたけど常に一人でいる感覚だった、って感じです。

小学校のときに、友達だと思っていた子に、突然「もう話しかけないで」と言われてショックを受け、人付き合いがめんどくさくなってやめたからです。

テレビドラマなんかにも興味を示さずマンガばかり読んでいたため、コミュニケーションが壊滅的に下手になりました。

それでも表面上は普通だったので、誰にも興味をもたれることなく学生生活を送っていました。

 

ですが高校2年の夏前、ぼくは坊主にしたのです。

16年くらい続けたマッシュルームヘアをやめて。

そこで、ぼくの「普通」の中の一つが消えました。

 

『昨日までクラスでまったくしゃべらなかったぼっちが、突然坊主にして登校してくる』

という「変な」状況を提供したぼくを、当時しゃべったことのなかったクラスメイトたちはめちゃくちゃいじってくれました。

それから、廊下で服を脱いだり教室で服を脱いだりと、変なことをし続けた結果、始めて心を通わせられる友達ができました。

そこで気付いたのです。

 

「変であることが、ぼくが前へ進むためのコミュニケーションの取り方なんだ」と。

 

だからぼくは、変でありたい。

今のところは受け入れられないことのほうが多いというか多すぎるくらいですが、全身を赤くしたりいろいろしながら頑張っていこうと思います。