ぼくは親に、自分の人生を生きてほしい
こんにちは。松田です。
ぼくは、自分たちの当然を押し付けてくる両親が嫌いです。
でも、いまを楽しく生きていられる基盤をくれていることに恩を感じています。
だからこそ、彼らにそろそろ自分の人生を生きてほしいのですが、子どもを心配することが生きがいになってしまったようで、聞く耳をもってくれません。
ずっと人の言うことだけを聞いて生きてきた彼らは、言うことを聞かせてくれてた誰かがいなくなった今、自分がどう生きていいかわからなくなっているようです。
そのせいか、ここ数年は会うたびに老けている感じです。
人に散々「言うことを聞け」と言ってきた結果がこれかいと。
言うこと聞いてりゃ人生ハッピーだったんじゃないですか?
あなた方の言うことをしっかり聞いてたお兄ちゃんは、引きこもりがちで人と話せない男の子になりましたが?
というふうに、目に見える形の結果が出始めたので、そろそろ彼らに自分でどう生きるかを決めてほしいなと思うのです。
ぼくは親に、小学生の頃からずっと、「俺の勝手にさせてくれ」と言い続けてきました。
生き方を決めるのもどうなりたいかを決めるのも俺の勝手だろうと、選ぶ権利はあるだろと思っていたからです。
親はそんなぼくを最後まで理解できなかったようで、最近では、いろいろ諦めてくれました。
ただ、勝手にできなかった頃のぼくの発言については、傲慢だったなと今になって思います。
とはいえ、自分の生きがいのために人を縛り付けようとする行為には、いい加減うんざりです。
と言いたいのですが、ぼくはまだ親に心配をかけさせてしまう不安定さをもってしまっているので、なんとも言えません。
なので、親にはぼくが自分で生きている姿を見てもらって、楽しそうだなと思ってもらって、勝手に自分の人生を歩んでもらいたい所存です。
彼らを心配から解放するためには、なんとしても生活ができるだけの収入が必要だなと思っています。
というところで、今月末の支払いが、いまの収入を大幅に上回っているので、すみませんが仕事をください!!!
先日、ためてたオモコロの記事を提出しました。
いろんな仕事をためててほんとにすみません!!!
一通りためてた仕事をしたのと、6月にオモコロ合宿に参加するお金が必要なので、何か仕事をください!!!
精一杯記事を書かせていただきます!!!
ちなみに、「勝手に」という言葉は、「自由を振りかざす」という意味ではなく、「配慮したうえで自由を主張する」という意味なのであしからず。