信念のある他人の言葉を届けたい。魂が叫ぶ自分の言葉を届けたい。ロックンローラーのようなライターに、ぼくはなりたい。
「君の夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ。風の強い日を選んで 走ってきた」-『funny bunny/The pillows』
「道なき道を 踵を鳴らしていこう」-『My Foot/The pillows』
「死ぬ間際に 悔いはないと 言えるように 生きていたいだけ」-『アンサイズニア/ONE OK ROCK』
「胸張って生きろよ。虚しさに殺される前に」-『YES/サンボマスター』
「神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを ねだるなんて 本気なのか?」-『青空/THE BLUE HEARTS』
ロックバンドが歌う言葉は、ぼくの心を震わせる。
彼らは、世の中や人間を取り巻く環境に、訴えたいことがあって、自分の言葉を貫いている人たちだと、ぼくは思っている。
だから彼らの言葉には、まるで本人に直接言われているような力強さを感じるのだ。
『ロックで独立する方法』という本のなかで、忌野清志郎さんが言っていた。
「『好きなことをやり続ける』はそんな安っぽいもんじゃない、って思う。『世間のせいにしちゃえるほどのこと』を自分ができているか、っていうのが大切なのかもしれない。」-『ロックで独立する方法 32Pより抜粋』
「周囲が最初からそんなに『理解』してくれちゃってたら、本気でロック・ミュージシャンになる決心なんて、できるんだろうか?周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて『よし、オレの気持ちはホンモノだ』っていう決心が固まっていく・・・そういうもんじゃないのか?」ー『ロックで独立する方法 50Pより抜粋』
ぼくは、ライターとして生計を立てたい。
いや、ライターとして生きていく。
これは、ぼくにとっての絶対だ。
ぼくは、自分の知らない世界を知りたい。
見たことのないものを見たい。
自分の好奇心のままに生きていきたいのだ。
もちろん、責任を果たし、恩を返しながら。
もし、それができないのであれば、あの世を探検しにいく。
その覚悟はもっているつもりだ。
ライターになる、という決心は揺らがないが、時々、自分の力のなさを痛感することがある。
企画を立てても、うまく人を巻き込めないとき。
自分の言ったとおりに、物事を動かせないとき。
自分をぶっ殺したくなる。
恩があるのに、それを返す力のない自分に存在する価値はあるのか。
責任を果たせない自分は死んでくれ。
もちろん、自分の努力が足りてないだけだし、言葉が過激なだけで、ただの弱音でしかないことはわかっている。
そんな無駄なことを言ってる暇があるなら、やるべきことをやれよと、自分に言い聞かせている。
ただ最近、その言葉のエネルギーを向ける方向と使い方さえ間違わなければ、前に進めることを知った。
自分に言葉を向けるから刃物に形を変えるだけで、外に向ければ暖かい手やハンカチにも姿を変えるのだと。
そのエネルギ-は、自分が心の底から思っていることを言葉にしなければ生まれない。
当たり障りのないことを言っていても、誰のこころも動かせやしない。
ぼくは常に、そのエネルギーを感じていたい。
そのエネルギーを感じているときだけ、ぼくは生きている気がするから。
だからぼくは、他人の口、自分の口、誰の口から出たかに関わらず、信念のある言葉を聞きたいし、それを聞いて生きられる人がいるなら、届けたい。
それを聞いた人たちに、明日も生きてほしい。
ライターとして食っていくためには、まだまだ乗り越えなきゃいけない壁がある。
まだまだ開けていない扉がある。
おそらくそれはしんどいことを経験し続けることだと思う。
けれどもそれ以上に、自分の好きを貫きたい。
自分が生きたい人生を、生きたい。
より多くの人のためになることをやっていこう。
人に理解されなくても、自分が自分を理解していたらそれでいいんだ。
この道を行こう。
そう思わせてくれる一冊でした。
忌野清志郎さんに敬意を込めて