意味のないことは、ぼくにとってのトラウマ
こんにちは。
自分の生きる意味について、考えたことはありますか?
ぼくは子どもの頃、両親が「お金がない」と言うようになり、日々ケンカをするようになってから考え始めました。
最初はたしか「自分がいないほうが、この人たちは幸せなんじゃね?」という思いがでてきたような気がします。
なんでこの人たちの苦しみを増やすために存在してるんだろうと思うと、いくら考えても自分がいないほうがいい、という結論しかでてきません。
なので自殺をしようと考えたわけですが、包丁で刺すには痛そうで、溺れるのは苦しそう。
焼酎を一升瓶分一気に飲めば急性アル中で死ねるかと思いましたが、結局しませんでした。
なんだかんだで生き続けました。小中高。
親の苦しみは増やし、生きてて何を生み出すわけでもないけど。
別におもしろいわけでもないし、何もない。
そんな人間だったので、自分に生きてる意味はないんだなと思いました。
他のみんなは個性的で、言動がおもしろいやつがいれば、スポーツが万能なやつもいて、みんな何か意味をもってそこに存在しているんだろうなと思うと、死にたくなりました。
怖かったから死ななかったけど。
あの頃は、今思い返すと、地獄でしかなかったんです。ぼくにとって。
何の意味もないのに生かされて、「お前のせいで私たちは苦しんでいるんだぞ。でもお前のために金をかけてやってるんだ。感謝しろ」と言われる毎日。
「自己犠牲の尊さなんて知らねえよ。じゃあ殺せよ」と言い続けましたが、やっぱり自分の手は汚したくないのか、殺されませんでした。
寝てる間に子どもの首を折るくらいカンタンだと思ったんですけどね。
そんなわけで、『意味のないことをしている』というのは、ぼくにとってトラウマなんです。
意味がないのに、時間だけを空費しているあの頃は、苦しくてしかたなかったので、二度と戻りたくないのです。
とにかく、意味のないことをしたくない。
意味のないことをしていると、またあの頃のような気分に襲われる気がするから。
だから意味を感じない飲み会には参加したくないし、意味のない会話をすると相手に嫌われる気がして、できない。
だから、すべてのことに何かしら意味をもたせようとするんです。
アホなことをやってても、あれにはすべてぼくなりの意味があるので、ぼくは楽しいです。
生きている気がするから。
『意味のない会話』の重要性はとても理解できるし、できなきゃと思うんですが、ぼくのなかでは「意味のある意味のない会話をしなきゃ」という思考になるので、難しい。
でも頑張ります!
まぁ、いろいろ暗いことばかり書いてきましたが、これだけは言いたいです。
苦しいことを経験して思考を変えて、楽しいことを見れるようになると、人生は楽しい。
だから、死ぬなんて思わずに、変なことで頭をいっぱいにして生きてほしい。
ちょっとイカレてるくらいが、人生楽しめると思いますよ。
それでは!