ぼくらを取り巻くクソッタレな何かを殺すために記事を書く
中学生の頃は、殺し屋になりたいと思っていました。
殺したい人を代わりに殺す人。
とくに、理不尽を押し付けてくる人間をぶっ殺したいと思っていました。
自分には、そいつに逆らう力も対抗する力もないけど、殺したいほど憎いことをされたから殺してほしい。
そんな要望を叶えられる人間になりたかった。
理不尽を押し付けられる憎しみは理解できるから。
とはいえ一般的な倫理観を入れられた僕には、とうとう一人も殺すことはできませんでした。
そもそもビビりですし。
そんなこんなで自分のなかの黒い本質のようなものに蓋をしながら生きてきたのですが、最近自分について考えていくうちに、この黒い部分と向き合わざるを得なくなってきました。
というか、今までの笑顔や明るさは、社会で可も不可もなくやっていくためにだけ身に着けた仮面なのではないかと思ったのです。
・・・あぁ、自分は自分で思っているより歪んでたんだなと、少しだけ悲しかったです。
自分の本当にやりたいことを見つけた気がする感触もあったので、多少の嬉しさもありましたが。
さて、とはいうものの、大人になった僕は『人殺し=犯罪』という法律に守ってもらっています。縛られているともいいますかね?
だから肉体的に殺しはしません。
ただ、自分が押し付けた理不尽と同等の、理不尽と憎しみと悲しみと怒りと絶望を自分も受けることで償ってもらいます。
とくにレイプしたやつとかね。自分の失敗を下の人間に押し付けてやり過ごしたやつとかね。
あとはこう、現状に悪影響を与えてる周りの諸要素を殺したいです。
そんなことを考えながら記事を書くのが一番楽です。
そういう意味では、苦しんでいる小さな声に救いを与えられる人間でありたいなと思います。
ジャーナリストになろ。