物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

クリ塾関西2018の一次審査で落ちました。来年は絶対に行く。

こんにちは。

先日、クリ塾関西の募集に応募しまして、ここ数年で一番思考して見直して書いたのではと思った文章が、落選しました。

純粋に悔しいですが、悔しさなんてもっていても無駄だなと、淡々とやるべきことを決めてやるだけだなと思えた自分は、前進しているんだなと感じました。

昔の自分なら「やっぱり自分はできないんだ」と、自分を否定する材料にしていたはずです。

ちなみに、どんな文章で応募したか載せますね。

 

「その変身は、人生を決めた呪いであり祝福だった。
ある田舎に、目を隠すほど長い髪をした高校生の男の子がいた。彼はその長い髪で、周囲の人間を遠ざけていた。どうせ自分から離れていくのならば、最初から近づくなと。しかし彼は、本当は寂しかった。再び友達に裏切られるのが怖かっただけ。本心は心を許せる存在を求めていた。とはいえ、既に高校に入学して1年半。人は彼を『例のあの人』と呼んでいた。だから彼は、自分を受け入れてもらうため、今までの自分を打ち壊せるほどの巨大なインパクトが必要だと考えた。それを生み出せるのは何だ。自分を作ったのは何だ。人への恐怖、傷つきたくない気持ち。色々あるが...この髪だ。人を拒み、自分の本心を隠すこの髪を切ろう。ただ切るだけじゃ意味がない。坊主にしよう。そして彼は、彼の象徴だった長髪を、バリカンで剃り落とした。
翌日、彼が教室に入ると、大爆笑が起きた。大勢の人が彼に声をかけ、頭を撫でた。クラスの陰に潜んでいた長髪が、一晩で明るい坊主になったという非日常感が大ウケしたのだ。それが、私を変身させた瞬間だった。坊主になった私は、自分をさらけ出すように服を脱ぐ芸を覚えて人を笑わせ、自分もよく笑うようになった。いつしかクラスカーストの最下層からトップに成り上がっていた。そして今、”脱ぎ芸”は進化し、私は全身を赤く塗ったブリーフ姿の妖怪となって、メディアで人を笑わせている。」

 

他に、候補として考えていた文章がこれ。

 

「みなさんは、ドクターフィッシュという魚をご存知だろうか?この魚は、ヒトの角質を好んで食べる食性をもつ。もしもぼくが人間以外の動物になれるなら、ドクターフィッシュになりたい。その理由は、ぼくの小学生時代に遡る。
小学2年生になったころ、ぼくはひとつの性癖を獲得していた。それに気づいたのは、体育の時間だった。体育館に裸足で並んでいる綺麗な足をみて、ぼくは舐めたいと思った。その綺麗さを自分の中に摂取したいと思ったのか、綺麗さのなかにある汚さを、舌で見つけて舐めとるという行為を思いつき実行したいと思ったのか定かではないが、その興奮は家に帰った後も冷めやらず、同じように綺麗だった双子の兄の足を舐めた。指先から膝下まで丹念に。兄はゲームをしながら平然としていた。後ろにいた両親の顔は見ていない。が、おそらく壮絶な表情を刻んだ顔を見合わせて、ぼくが真っ当に育つことを願っただろう。しかし残念ながらぼくは、足を見ると『舐められるか舐められないか』という目でしか見れない人間になってしまった。綺麗な足を舐める、その行為を生きがい、あるいは生きる意味と呼んでもいいほどに。
そんなことを人に打ち明けたなら、もはや人間として見られはしないだろう。ならば人間性を捨て、性癖をコンパスに生きるドクターフィッシュとなって、足を舐めていたい。そして、巨大な興奮に小さな身を灼かれながら、花火のようにその一生を終えるのだ。」

 

後者は「素直に気持ち悪い」という理由でボツになり、前者を出しました。

文章のお世話をしてくださった方は「最初の一文がいらんかったよな」と言われていまして、たしかにその通りだなと思う反面、そもそも言葉の表現力のなさ、経験の希薄さもあるのではないかと思っています。

 

まぁ落ちたものを嘆いても仕方ないので、今日ぼくは自分との約束をしました。

 

①毎日600字のテーマがある文章を、夜寝るまでにブログに書くこと。

②書けなかった場合、腕をカッターで切ること。

 

これを今日から続けていきます。

 

この約束を忘れないために、過去の自分との決別の意味もこめて、毎日黒のシャツとズボンのみを着用することにしました。

『自分らしさ以外のものを削ぎ落として自分を尖らせたい』という気持ちもあります。

 

そんなわけで、今日から文章を書き始めます。

今日のテーマは「理解」。

それでは、次の記事で。