又吉直樹著『第2図書係補佐』を読んで23
今回は『コインロッカー・ベイビーズ』の内容について。
この文章は、『コインロッカー・ベイビーズ』を読むのに8年かかったというところから始まる。
古本屋でこの本の下巻だけを見つけて上巻を見つけたら読もうと思っていた彼は、1年後にようやく見つける。
だがその頃には記憶があいまいになっており、彼は下巻をもう1冊買ってしまう。
そしてしばらく経った頃、また下巻を1冊買ってしまった。
本棚に下巻が3冊並んで7年が経った頃、ようやく上巻が手に入り読んだという。
「家にあったのは下巻だったっけ?上巻だった?」というような疑問を店でもつ状態はわかる。
ぼくもスーパーで「冷蔵庫にじゃがいもが何個あったっけ?たまねぎしかなかった?」という疑問を抱きながら帰ってたまねぎを無駄に買ってしまうということが何度もあるからだ。
この本の紹介の書き方で面白いと思ったのは、この部分。
いつか遥か遠い未来の住人が、過去の世界の残滓として土の中から一冊の本を発見するなら、この本が良いと思う。充分新世界の神話に成りうるだろう。
本に対して「神話になる」というのは最高級の賛辞だと思った。
神話は一番多くの人に読まれる物語。
人に読まれることを目的に生み出されるものとして、これ以上嬉しい褒められ方はないなと。
そして、その続きがまたよかった。
だが出て来たのが下巻だけだったらどうしよう?上巻はなかなか見つからないのだ。
宇宙規模で遥か未来に時を駆ける壮大な褒め方をしたあとに、そうそうないほどの個人レベルの小さな悩みをもってくることで、オチとして大きな落差が出ていて面白かった。