物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

聖母

 「こんな人を生み出した世の中なら、もう少し生きてみよう」と反射的に思ってしまうような人がいる。その人は利他精神を軸に生きている。自分が傷つくかもしれない、裏切られるかもしれないという恐怖を抱えながらも、ためらいなく人に自分のものを与えられる精神と行為がとても美しいと感じてしまう。

 その人は話を聞くときに、一切の否定も操作も勘繰りもしない。ただ聞くのだ。文字にすると何の味気もない「聞く」という行為をその人がすると、なぜかとても深い愛に包まれているような気持ちになる。僭越ながら数少ない語彙にて形容させていただくと、これが徳の高い人だと、一目見たときに思った。あと何回人間を繰り返し善行を積めばこんなふうになれるのかと。その人と話をしたときの気持ちは今でも忘れられない。『慈しみ』を擬人化したような人だった。比喩ではなく「この人が生きているなら自分も生きよう」と思った。

 その気持ちは、憧れに近いのだと思う。尊敬と憧れが入り混じっている。ぼくはたぶん、その人のようになりたいのだ。「この人が生きているなら」という思考は、自分もその人のようになれるかもという卑しい気持ちなのだと思う。それは聖母の表面だけを見た浅ましさなのかもしれない。純度100の慈愛を前に消え入りたくなる恥ずかしさも感じた。だけどなりたいのだ。中学のとき、将来の夢を聞かれて堂々と「殺し屋です」と答えたぼくでも。