物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

伝心

 誰もが自分だけの言葉をもっている。人に自分の思いを伝えるために、頭をひねって絞り出す言葉がある。その言葉を受け入れ共有するからこそ、理解できる感情や思いがある。

 22年間生きてきて、心が通じたと思える相手は片手で数える程もいない。それはその人たち以外の人の言葉をぼくが共有していないからだ。人には、その人の言語でしか表せないニュアンスがあり、気持ちがあるのだと思う。だがその言葉の意味しか知らず、自分の言葉にできていないぼくには、その心情に自分を近づけることができない。そこには高い言語の壁がある。

 相手の言葉を聞き、自分の理解を近づけ、感覚として捉えるということは、その相手と同じ人間になる行為だ。そうすることでぼくは初めて、人と自分の間にある壁を取り払える。だが言語を共有できるかどうかは、運による要素が大きい。

 ぼくは自分の両親に対し「自分の言葉を話せよ」と思って生きてきた。彼らは『世間』や『みんな』という誰かの言葉しか話さない。そんな顔も知らない誰かの意見を押し付けられ、言うことを聞けと強要されるのが嫌だった。だが自分の言葉で話してもらうことで、彼らを理解したかったのだと思う。だから「世間とは誰なのか」と問い続けた。彼らは答えなかった。言葉が共有できるかどうかに、血のつながりは関係ない。ぼくは未だに彼らがどんな人間なのかを知らない。

 

 一方で、言葉に頼らない人を羨ましくも思う。