物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

対峙

 原稿と向き合うことは、自分の理解力の低さと向き合うことだと思う。とくにインタビュー原稿の場合、書き始めてから要所要所に理解が足りていなかったことに気づく。相手から出てきた言葉の背景について違う聞き方をすべきだったとか、記事の内容的にこの話はもっと具体的に聞くべきだったじゃんとか、そんな思いが頭の中をぐるぐるし始めて髪をかきむしる。そんなことがよくある。

 企画記事にしてもそうだ。誰に届けるべきかの理解が甘かったと思い知らされることが山のようにある。あれほど時間を巻き戻したくなる時間はないわけではないが、けっこう順位は高い。ちなみに1番は車の鍵を閉じ込めた時だ。

 理解力はどのようにして上げられるのだろうかと考えた。そして、より多くの人や物に接して自分の言葉にしていくことが必要なのではないかという結論に落ち着いた。

 先日、面接に伺った人事の方の言葉を聞いて彼女がこう言った。「私が3年かけて理解したことを、その人は1時間で理解してる。さすがプロだね」と。やはり人への理解力を上げるには、より多くの人と会って相手の考えや諸々を、より多くの言葉にして擦り合わせていくのが一番なのだろう。それだけに、パソコンと向き合っている時間は自分の足りなさを突きつけられ続けるだけなのでなかなかに辛い。それでもやるしかないが。

 取材は取材を重ねることでしか上手くならないのだ。内なるマツダに負けず原稿を書こう。