物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

未熟

 自分の感情をあらわにする怒り方をするのは未熟なのだと思って生きてきた。「そんなことで怒るな。子どもかよ。」と誰かに言われ、たしかにそうだと納得してしまったからだと思う。何をもって人を大人と定義するのかと聞かれれば、「理解することをやめない人」だとぼくは答える。話の文脈は忘れたが、誰とも楽しそうに話すやつがこんなことを言っていた。

 

「相手の発言や態度によっては怒ることもある。そんなときは相手の成り立ちについて遺伝子レベルまで想像して理解して納得するようにしてる。そうすると、怒りをスッと飲み込めるのよ」

 

 

 ぼくはその考え方が好きだ。理解されないことがどれだけ悲しいかを知っているから。だけど自分の都合で怒りを感じているとき、ぼくはその対象を理解しようとする思考を止めている。だがそれはただのエゴであり、相手はただ相手の思う通りに振舞っているだけなのだ。それを自分の都合で「やめろ」「ふざけるな」などと言うのはおかしな話である。と、冷静になるといつも反省する。

 

 大人になることは、理解できることの幅を増やすことだと思う。そうして大きくした器がいつの間にか大人と呼ばれるのだろうと。人には人の都合があり、誰にもそれらを咎める権利はない。だけど感情に飲まれてその当たり前な事実を忘れてしまうことがある。怒ることを否定はしない。だが理解を止めてはならない。理解のない世界に人は生きられないのだから。