知らない土地に、自分を置くこと
未知のものに出会いたい。
それは別に、UMAに出会いたいという壮大なものではない。
ぼくは、今の自分が知らないことに出会いたいのだ。
それが、ぼくが生きている意味の大部分を占めている。
未知のものは、けっこう身近なところにあふれている。
本のなかにあったり、ネット上を漂っていたり、人の発言のなかにあったり、頭のなかに突然現れたり。
”未知”に形はなく、いろんなところに存在している。
それらに出会うと、ぼくはとてもワクワクするのだ。
知らないことに出会うことで、ぼくは世界の広さを再確認し、世界に飽きずに済む。
もっと生きようと思う。
でもたまに、目の前の物事に追い詰められて、とてつもなく逃げ出したくなるときがある。
世界は広いのに、自分はどこにでも行けるのに、なぜ今この場所に縛られているのかと。
そんな思いが頭を離れなくなって、ぼくは逃げるように海外へ行く。
場所はどこでもいい。
とにかく、何も知らない、自分のことを知る人間がいない、自分のアイデンティティがない場所へ行くのだ。
そこは、まったくの未知の世界。
街を歩くだけで、未知のものを浴びられる。
そんな世界に身をひたすことで、体にたまった毒が抜けていき、
そしてまた、ワクワクできるようになる。
知らないことを知るということは、等身大の自分を思い出させてくれるのだ。
知らないことがあると知っているからこそ、ぼくはぼくでいられる。
等身大でいれば、自分の足は確実に前に進んでくれる。
本当の自分を知らなければ、幻想に足をすくわれる。
そして、自分がこけたことにも気づかず、前に進んでいる夢を見るのだ。