理解することは、わかること。そのままを認めること。感じること。
ずっと、違和感があったんですよ。
人と一緒にいるはずなのに、いつも一人ぼっちだったから。
考えてみると、理由は簡単でした。
ぼくは誰のことも理解していなかったし、受け入れていなかったから、一人だったんです。
理解というのは、相対するものを自分の解釈に閉じ込めることではなくて、そこに存在するものをわかることだと気づきました。
そこに積極的なスタンスはいらないんです。たぶん。
あるがままを感じて、受け入れればそれでいい。
昔お会いしたアダム・カヘンというファシリテーターが「Understanding is feeling」と言っていましたが、2年経ってようやく言葉の意味がわかりました。
ぼくは、理解しようとしたから排除したんです。
理解しようとする過程で、好き嫌いの判断をして自分の解釈のフィルターにかけ、排除してしまった。
ぼくはただ、わかってあげればよかった。
これからは、そういうスタンスでやっていこうと思います。