物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

又吉直樹著『第2図書係補佐』を読んで⑧

今回は、『サッカーという名の神様』について。

 

又吉さんが自身を語る上で、サッカーをやってたときの思考や感情、自分に感じてた思いはなくてはならないものなんだろうなと思った文章だった。

 

今の彼を見るとサッカーの面影も感じられないのではないだろうか。

 

ぼくは彼がサッカー少年だったことを知らなかった。

 

小学生の頃サッカーをしていた又吉さんも、自分がサッカーをやっていることへの疑問を何度も抱いたのだと思う。

 

高校時代の試合について書かれた内容にも、

ぼくはコーチの息子を物凄く意識して普段よりも独りよがりでサディスティックなプレーをしていたので自分が酷く性格の悪い生き物のように感じられた

 とあった。

 

最後まで、サッカーをしている自分を好きになれなかったのではないだろうか。

 

しかし一方で、「中学の三年間は世界で一番サッカーボールに触る」という目標を立てて毎晩ボールを蹴ったり、マラドーナに憧れて左足でボールを蹴り始め、チームメイトに散々に言われながらもやめず結果左利きになったりした姿もあった。

 

始めて1年経たずにやめようとしても、またサッカーに戻って来た。

 

彼にそうさせたのは、サッカーという名の神様だと彼は書いた。

 

ぼくはサッカーを人生の最初の方で諦めて以来関わってこなかった人間なのでその気持ちがよくわからないが、彼はサッカーをする行為に取り憑かれていたのだろうかと思う。

 

ボールを蹴り、ドリブルで駆け上がり、ゴールネットを揺らす。

 

それが小学生から高校時代の彼にとって、生きていることだったのではないかと想像した。

 

サッカーという名の神様が、彼をそういう風に創造したのだと。