物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

二重

 「二重」という言葉が装飾語として用いられるとき、基本的に”より良い”というニュアンスを与える。二重丸、二重(ふたえ)、二重跳び、二重扉といった具合に、より良く、よりすごい、より安全であるという風に意味を増す言葉だ。それにも関わらず、「二重あご」という言葉だけが悪いものとして扱われていることにぼくは疑問を感じている。二重あごは悪いのだろうか?とんでもない。二重あごは素晴らしいものであると私は宣言する。

 私にとって二重あごは、穏やかさの象徴だ。その柔らかな膨らみは、私に優しそうな印象を抱かせる。とくに女性のもつ二重あごを見ると、触ってみたい衝動に駆られてしまう。誰もがもっている胸にもお腹にもほっぺにもない、その唯一の膨らみは、希少性をもちながらも決して同じものがない。触ってみて意外と肉がないという驚きを得るものがあれば、見た目通りの弾力をもつものもある。かと思えば柔らかで水々しい印象を与えるもの、可愛い膨らみを見せるだけのものなど千差万別。似ているように見えて全然違い、代替不可能な丸みを帯びた二重あごを、ぼくは贈り物と呼びたい。それは神が人間を創造したときに与えたレアアイテム。選ばれし者だけがもつことを許された穏やかさの象徴。人間の全パーツのなかで唯一俗にまみれず可憐さと優しさを保ち続ける存在。長い人生の中でも、二重あごを見られる時間は短い。二重あごとの出会いは大切にしなければ。