今のうちにチャレンジしとこう

将来をより良く生きるため、いろんなチャレンジをしていきます。

幸せは誰かの手の中かもね

いろんな世界を見たいとか、広い世界で生きていたいとか思って生きてきた。

けど、そこにぼくの幸せはなかったのかもしれない。

21歳でこんな悟ったことを言うのもなんですが。

今の気持ちを率直に言うと、すげー飼われたい。

うん、たぶんそうだわ。

ここが君の住む場所で、ご飯は毎日あげるね。

もう私しか見なくていいからねって言われる状況で、飼い主のことだけしか考えられないような状況に追い込まれて死にたい。

 

・・・逃げてる?

そうかもね。

自分の人生でやるべきことを全部投げ出したいだけかも。

でもさ、どうしていいかわかんないんだもの。

わかんないならわかんないなりに調べてやれよって言われるかもしれないけど、何のために?

とくに何も必要とされてないこの状況で、というか、求められていない今、もういいんじゃないかな?

 

自分は、本当は、おやすみプンプンの田中愛子のような人間かもしれない。

って書いている今は、変なテンションに飲まれているだけかも?

それでもいいや。それもたぶん自分だから。

 

一度でいいから、他人と、他人と自分の境界線がなくなるまで分かりあいたい。

分かり合ったその瞬間、死んでもいい。

だからたぶん、ぼくが今まで本当にほしかったのは、家族だ。

すべてを理解したうえで受け入れてくれる家族がほしい。

そんな人を探すための金であり、旅であり、仕事なんだと思う。ぼくの人生は。

 

終わってますかね、ぼくの人生。

これから始まってほしいものですが。

ぼくは光の世界の住人ではなかったのだと思う

夢を叶えるぞー!とか。

自分は将来こう生きるんだ!とか。

人の役に立つんだー!とか。

なんか、本気でそう思えないんですよね。

そういうふうに動いてる自分に遭遇すると、「誰これ?」って思うんです。

今まで必死に、真面目な後輩をやってたけれども。

すべてのメッセージに「!」をつけちゃう先輩を慕う系人間の典型として生きてきたけど、あの文章が持ってたような輝きは、ぼくのなかには、実はなかった。

あれはなんだったんだろうか。

たぶん、演じてただけだと思うんですけど、もしかしたらあれは本当の自分だった?

自分ではそうは思えないけど、どうなんでしょうね。

ただひとつ言えるのは、あのときのぼくは外から見ると、よくわからないやつだったということ。

よくわからないというのはたぶん、ぼくが自分を見せていなかったのか、僕自身も本当の自分がどんなやつだったのかを知らなかったということ。

まぁ、24時間のうち、7時間くらいは親をどう殺そうかばかり考えてたようなやつが、まともなわけないですよね。あはは。

結局は殺さなかった、ただの小心者。

 

けど、それってぼくだけなのでしょうか?

もしかしてみんな、自分のなかの黒い部分を必死に隠して過ごしてる?

これは本当の自分の人生じゃないんだと心で叫びながら、笑顔を盾にして生きてるの?

もしそうなのだとしたら、ぼくは考えを改めて、明るい自分に将来を託して黒い自分を抹殺せざるを得ません。

そうしか生きられないのなら、背に腹は代えられませんし。

 

ただこれが本当のぼくなのだとしたら、このぼくでの戦い方を見つけて生きていきたい所存であります。

こんなぼくでいていい世界はあるのだろうか。

なかったらないで、どうでもいいですが。

真面目で優しい人が良いって嘘だからマジで

「真面目に頑張りましょう」とかね、小さい頃から言われてたでしょ?

 

「真面目で優しい人が得するんです」とかね。

言われてたんですよ。

 

純真爛漫なチェリーボーイだった少年は、親教師が自信満々に言い切るその言葉をまんまと信じて生きてきたわけです。15年くらい。

 

ほんと馬鹿。

真面目だから損するってのに気づこうよ。

ちゃんと気づいて人生楽しそうにしてる人いるでしょ?

 

真面目な人ってさ、あんまり心許せる人がいないと思うの。

真面目ってだけで人間的な部分が見えないしね。相手からすると。

 

でもさ、なんか無条件で良いものだって信じちゃうじゃない。

悪い要素なんてぱっと見当たらないしさ。

 

と思ったら大間違いで、真面目な存在を見てみなさいよ。

うんこじゃないっすか。

「人間」という名詞で言い表せちゃう、なんでもない存在じゃないですか。

 

自分の欲を出して生きてると、固有名詞でしか呼ばない存在になるの。たぶんね。

そういう人生の方が楽しいから。

 真面目だからどっかで物足りなさを感じてるし、真面目だから人と比べんの。

真面目だから正解を求めるし、真面目だからつまんないの。ファック。

 

でも「真面目」ってワードに盲目的だから、そんなのわからないのよね。

 

わたくしは最近それに気づいたんですけど、すげえ無駄な時間を過ごしてきたなと思ってます。

 

ずっと持ってた価値観だから根強すぎるので、時間をかけて壊していく所存であります。

 

というわけでね、できることなら昔の自分に言ってアゲインしたいのですけれど、

真面目になっちゃうと笑えない時間の方が多くなるから、欲望バリバリで生きましょ。

 

学校でそういう教え方するのもやめよ。

 

だんだんみんな気づき始めてる事実はちゃんと伝えよ。

 

こうだったら良さげだよねっていう中途半端な理想で洗脳して死にたい人間増やすのやめよ。

 

真面目なことに何の価値もありません。

 

あ、ここで言ってる真面目っていうのは、「思考停止的な『良いこと』を盲信してる様」なので悪しからず。

 

コツコツ物事を継続するとかいうのは、真面目とは違う能力だと思ってますので。

 

あと思いやりとか配慮が必要ないとかそんな話でもないですよ。

ああいうのはないと終わりますよね。いろいろ。

 

まぁ、そんな理想を信じていたい自分もいますけどね。

 

とりあえずは、最悪です。

 

ちなみにこの話のソースは僕。

 

だから要約するとあれですよ、はいはい言う前に疑ってこうぜって話。

ぼくは何がしたいのだろうか

あれがしたい。これがしたい。

いつもそんな言葉を口にするけれど、それは本当にしたいことなのか?

無理をしているのだろうか?

ぼくが本当にしたいことは、ぼくの知識の外にあるのだろうか?

そもそも、やりたいことだけをやるべきなのだろうか?

わがままなのではなかろうか?

でも、自分の心が言っていることに従ってはダメなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

こんなことを考えられるということは、

 

 

暇なんだね。

とりあえず頑張ろ。

ぼく、脱皮します!

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ぼく、年に2回脱皮するんです。

手が。

っていうカミングアウトでした! 

自分にインタビュー「考え方に正解はなくて、人それぞれ信じている原則があるだけ」

松田「松田さんって、昔から『何を信じて生きたらいいかわからない』って思いながら生きてたじゃないですか」

 

松田「そうですね。親も塾の先生も学校の先生も、じいちゃんばあちゃんも、大学で出会った人たちもみんな、テンでバラバラなことを言っていて、ぼくは何を信じていいのかわからず、迷っていました。それは、ぼくが自分の人生で失敗をしたくなくて、正解を求めていたからです。出会う人に、これからどんな価値観、考え方をもって進んだら正解かを求めていた。」

 

松田「でも、最近は正解なんてないことに気付かれたんですよね。何があったんですか?」

 

松田「とくに、この瞬間を機に気付いたというのはないのですが、ライターという道を選んで進んでいく中で、徐々に気付いていきましたね。ライターを始めてから多くの大人の方と、ライターとして、責任を負って仕事をしているという意味での一社会人として話してみると、意外とみなさん迷いながら仕事をされていたんです。成功をおさめているように見える人でも試行錯誤の途中だし、自分で考えて答えを出しながらやってきた結果が今というだけで、みんな途中なんだというふうに思ってからは、正解なんてないのだという証拠探しを始めました。そしたら、誰も自分の人生に対する正解をもっていなかったので、自分も踏ん切りがついた感じですね。正解を人に求めてもないし、自分で作るしかないと。だから今、試行錯誤してみてます。全然結果が出ないのが悔しいですが、この時期を耐えて結果が出ると、大人のみなさんが経験してきたような嬉しさを自分も味わえるんだろうなと思えて楽しみです。」

理解することは、わかること。そのままを認めること。感じること。

ずっと、違和感があったんですよ。

人と一緒にいるはずなのに、いつも一人ぼっちだったから。

考えてみると、理由は簡単でした。

ぼくは誰のことも理解していなかったし、受け入れていなかったから、一人だったんです。

 

理解というのは、相対するものを自分の解釈に閉じ込めることではなくて、そこに存在するものをわかることだと気づきました。

そこに積極的なスタンスはいらないんです。たぶん。

あるがままを感じて、受け入れればそれでいい。

昔お会いしたアダム・カヘンというファシリテーターが「Understanding is feeling」と言っていましたが、2年経ってようやく言葉の意味がわかりました。

 

ぼくは、理解しようとしたから排除したんです。

理解しようとする過程で、好き嫌いの判断をして自分の解釈のフィルターにかけ、排除してしまった。

ぼくはただ、わかってあげればよかった。

これからは、そういうスタンスでやっていこうと思います。