ブログで自分の生活を作ってみよう①
みなさんは、自分の時間の過ごし方を、自分で作っていますか?
ぼくは、周りや自分の惰性に流されている感じがあります。
昼に起きることが多いし、自分のしたいことより振られた仕事を優先してしまうし、ついつい目先の娯楽に手を伸ばしてしまうことが多いのです。
けっこうダラダラと時間を過ごしている実感があって、これじゃいかんと思いました。
これじゃ、より良く生きていくことなんてできないなと思ったのです。
しかし自分一人だと生活を変えられないので、ブログでコンテンツを作って記録してみようと思います。
そこで始めるのがこの2つ。
・3時間睡眠にチャレンジしてみよう。
・引き寄せの法則を試してみよう。
どちらも、本を参考にしながら続けていくつもりです。
参考にする本は、藤本憲幸氏「頭のいい人の短く深く眠る法」、パム・グラウト氏「思考は現実になる」「潜在意識を使いこなす」の3冊です。
参考書は増えるかもしれません。
ひとまず、3時間睡眠へのチャレンジは始めましたので、「そもそも3時間睡眠の効果って何よ?」とか「引き寄せの法則って何よ?」といったところを、後ほどご紹介しますね。
雑なまとめ方ですみません。今から朝日見に行くのですが、もう昇ってきてしまってて焦ってるのです。笑
では、西原のビーチへ行ってきます。二度寝される方、おやすみなさい。
それでは!
マンガをいっぱい読んどこう①-『金色のガッシュベル』を読んどこう
おはようございます。
突然ですがみなさん、マンガは好きですか?
ぼくは大好きです。毎日何かしらのマンガを読むし、ちょくちょくマンガ喫茶に行っては、3,4時間マンガを読み続けます。
ぼくにとってマンガを読むことは、エネルギーの摂取と同義です。いろんなマンガの世界に浸って、いろんなキャラクターの心情や言葉に触れ、その人たちのエネルギーをもらうのです。
笑いたいときはマンガを読むし、苦しい時もマンガを読む。イライラしたときも、どうしようもなく死にたくなった時もマンガを読みます。
ぼくにとって、”世界”を紙の上に創り出すマンガは、それだけで力をくれるものなのです。マンガ家は神様です。
そんなぼくがマンガを読み始めたのは、小学5年生のとき。最初に読んだマンガは、『金色のガッシュベル』でした。
母親とスーパーに行って、たまたま買ってもらった少年サンデーに連載していたのです。それから毎週購読してたわけじゃないんですが、その後10年間、ずっと心に残っているマンガです。
コミックは全巻読みましたし、アニメも全部観ました。
ガッシュベル、めちゃくちゃ大好きです。
まずは、あらすじからざっくりとお話ししましょう。
金色のガッシュベルの世界には、魔界という世界がありまして、魔物が住んでいます。魔物と言っても、禍々しいものではありません。ガッシュベルの表紙の子のような、可愛い感じです。
そんな魔界で、1000年に1度、魔界の王様を決める戦いが行われます。その戦いの舞台は人間界で、選ばれた魔物の子供たちが、人間のパートナーとともに勝ち抜いていく、というのが、あらすじです。
金色のガッシュベルのおもしろさがどこにあるかと言いますと、人間・魔物問わず、ほぼすべてのキャラクターが違う価値観をもっているところ。(言葉を変えると、価値観がしっかりと描き分けられているところ。)なおかつ魔物と人間の価値観がまじわりながら、その魔物と人間にしかない絆ができていく過程と、その絆がキャラクターの言葉で表されているところが、本当におもしろいのです。
魔物が人間に対して、人間が魔物に対して胸のうちをぶつけ、笑ったりぶつかりあったりする過程がまずおもしろい。その過程があって、お互いをどれだけ大事に想い合ってるかが見えるのが、本当におもしろい。
キャラクターが生きているとしか言い表せないのです。紙の上で生きてるんですよ、彼らは。
ガッシュベルを読んでいると、彼らの感情や思いが、伝わってくるんです。共感できるとかそういう話ではなくて、伝わってくるんですよ。
金色のガッシュベルは、キャラクターが意思をもって、価値観をもって、思いをもって、感情をもって、生きている作品なのです。
ガッシュベルほど泣いた作品、全巻読み終わって拍手喝采を送った作品はありません。
ガッシュベルほど、ラストで盛り上がる作品をぼくは知りません。強大なラスボスと闘って終わり、みたいなよくある終わり方じゃなく、”ガッシュベルらしい”終わり方をするんですよ。最高です。
気になった方は、ぜひ読んでみてください。超おすすめです。名作です。
読んでみた方と、ぜひ話がしたいので、読んだら教えてください。笑
それでは!
言いたいことを、言っとこう②-「ハードルが低いって大事。割り切るって大事。」
続けてこんばんは。松田です。
さっきの200字くらいの投稿って、ぼくにとってはけっこうなチャレンジでした。実は。
ぼくは昔から、何をするにも、行動のハードルを上げすぎちゃう癖があるからです。
ブログに関して言うと、「ブログを書くからには1000字以上書かなきゃ。読者に面白いって思ってもらえるものを書かなきゃ。」みたいな感じ。
だから200字なんて文量の記事を書くことは、ぼくにとってはネット上にゴミを生み出してしまった、くらいに思ってました。
しかし、そういう固定観念こそが、自分の欲求を義務感に変えてたんだなと今気づいたので、なんだか気楽になりましたね。
さっきの記事も、さっそく褒められましたし。
今の気持ちが生まれてきたので、ぼくにとってさっきの200文字は、生み出された価値がありました。
1000字書くことより世の中に何かを発信する方が大事で、自分が納得できたらそれでいいんだって割り切ることが大事ですね。
じゃなきゃ、何かに抑圧された、つまんない人生を歩まざるを得なくなっちゃうなと。
別にそれが良い悪いではないですが、ただぼくが嫌だなと思うだけです。
気楽ってすばらしい!
言いたいことを言っとこう①-「義務がぼくの足を止める」
こんばんは、松田です。
みなさん、「~しなきゃいけない」って思ったことほど、やりたくなくなってしまうことってないですか?
ぼくは、よくあるんですよ。
最初は、それがやりたくて始めたのに、いつの間にか「やらなきゃいけない」に変わり、それが負担になって、やりたくなくなってしまうのです。
何かをしたいっていう気持ちは、子泣きじじいだなと。
欲求が義務に変わる前にやりきらねばといつも思うのですが、ごちゃごちゃ考えてしまって気付けば足が止まってるんですよね・・・。
というのを、ただ言いたかっただけです。世の中に、自分の言葉を出すチャレンジ。
それでは!
自分の学科のおもしろさを知っとこう
こんばんは、松田です。
大学生のみなさん、自分の学科の勉強って、おもしろいと思いますか?
ぼくは地理専攻の学科にいるんですが、昨日まで学科を変えようと思ってました。自分がやってる学問が、どう自分の役に立つのかがどうしてもわからなかったので。
せめて研究室だけでも、違う学科のところとかけもちしようかなと思ってたんです。
しかし今日、地理学おもしろいじゃん、と思えたのです。
何があったのか、詳しく書いていきますね。
ぼくの学科では、おもに自然地理学という学問を勉強します。
自然地理学の中では、地球規模の水の循環、気候、地質、土壌、その他いろいろなことについて学びます。授業では、「沖縄の地質が~で、水質は~です。」とか「気候の分類方法は~」みたいな話を、専門的な図を出しながら、専門用語を使いながら説明されます。
教授同士なら理解できるんでしょうけど、ぼくじゃよくわからないんです。調べてもちんぷんかんぷん。もちろん、説明のなかで理解できる部分もあるんですが、基本的にはよくわからない。わからない理由は、言ってることが専門的すぎるから、というのと、もう2つ。
・先生のしゃべってる内容が、社会でどう役に立ってるかが見えない。
・その話のおもしろさがわからない。
これです。ぼくからしたら、何の役にも立たなさそうな研究の、何がおもしろいのかが理解できないんです。
だから今日、聞いてみました。
「先生の研究結果って、どんな目的で使われるんですか?」と。
先生の返答はこうでした。
「そもそも何かの役に立てるつもりで研究してるわけじゃないよ。結果的に役に立つことはあるけど。僕たちはただ、自然のメカニズムを解明したくて研究してるんだよ」
『自然のメカニズムを解明したい』
この一言で、自然地理学という学問がおもしろいなと感じました。
「解明する」というのは、「今はわからないことを、検証を重ねてわかるようにするということ」で、その欲求はたしかにぼくの中にもあるものだからです。
だから、先生の中にも「わからないことを知りたい」という欲求があって、興味が自然地理の分野にあるだけなんだなと思えると、今まで意味のわからない(とぼくが感じていた)ことを言っていた先生の存在が、近く感じられるようになりました。
先生は、自分がおもしろいと思って研究して出た結果を、僕たちに伝えてくれてただけなんだなーと思うと、「何の役に立つのか」という見方はまったく見当違いでしたね。
しかも、人がやってることのおもしろさなんていくら考えても、わからないならわからないし、調べてもわからないなら、聞いた方が早いです。
その人が感じてるおもしろさを聞いて、共感できれば、勝手におもしろくなりますし。
ひとまず、自然地理学のおもしろさがわかったので、来週からのテストを楽しめそうです。
それでは!