『考え方を変えるのには時間がかかる』という当たり前のことに気づいた
こんにちは、松田です。
最近、こんな本を読みました。
これは、社会派ブロガーのちきりんさんと、格闘ゲームの世界チャンピオン梅原さんが、学校教育について対談したときの話がまとめられた一冊です。
もともと、学校ではずっと優等生で、今では独自の社会的地位を確立した ちきりんさんと、
学校では寝てばかりだったけど、今では格闘ゲームの世界チャンピオンになった梅原さんが、
互いにほとんど関わっていない学校教育という領域についての話をしています。
この対談のなかで一番興味深いのが、「学校的価値観を刷り込まれると、自分らしく生きられなくなる」という話。
学校的価値観とは、簡単にいうと『人に合わせて行動するのが正しい』というような考え方です。
人に合わせて、目立たないような行動選択をし続けた人間が増えた結果、ただの歯車が増えてしまった。
それはまさしくぼくも感じているところで、ぼく自身、大学に入って、自分がどう生きたいかを考えなかったら、ただの社会の歯車として取り込まれ、誰でもできるような仕事だけをしていたんだと思います。
ぼくもずっと、目立たないように、人に合わせて生きてきました。
それが正しいし、そうすべきだから。
でも、自分でいろいろやってみて実感したのは、自分の行動基準を、人に合わせなくていい、ということ。
つまり、自分がどうしたいのかを考えて、やりたいことをやればいいじゃんと、思うのです。
責任を果たさないとやりたいようにやれないなら果たせばいいし、誰かのためを考えると自分の思うとおりにできないのなら、代案を考えればいいと思うんですよ。
とはいえ、どうしても「無理だ」と思ってしまうことはあると思います。
ぼくも、あります。
お金の勘定ができないんです。
どんぶり勘定なんですよね、いつも。
それはたぶん、自分がまだ大きなものにすがってられる安心感をもってるからだろうし、それはまだ学校的価値観にとらわれているということなんだと思います。
ぼくはけっこう自分の頭で物事を考えられるようになってきたと思っていますが、まだまだ先は長いようです。
それもそのはず。
休学中に、自分が進みたい道を見つけて、いろんな経験をしてちょっと調子に乗って帰ってきましたが、一年かけて「自分ってほんと無能なんだな」ということに気づきましたから。
それは、自分の考え方が一年かけて、自分らしく生きるためのスタートに立ったということだと思っています。
自分が無能だということを思い知って、受け入れて初めて、素直に人の話を聞けるようになったし、着実な一歩を踏み出せたので。
考え方なんて、そう簡単には変わりません。
焦って自分をけなさなくても大丈夫です。
だけど、自分を変えたいなら、まずは自分の現状を素直に受け止めることが、一番にすべきことだと思いますよ。
想像上の自分がいくらうまくいっていても、現実の自分の足が進んでないと意味がないですし。
自分の幻想を守るためのプライドなんていりません。
必要なのは、傷ついてもいいという覚悟と、どうなってもいいやという諦めです。
というところで、改めてぼくがどう生きたいかをここに書いておきます。
ただの自己満足です。
ぼくは、ライターとして世の中のいいものを伝えていきたいし、自分が知らない世界に飛び込んでいきたい。
いろんな人の話を聞きたい。
何か事業をしている人が、どんな思いをもってやっているのかを知りたい。
だからこそ、ぼくは3歩目として、目標を立てました。
『6月中に、松田和幸の名前を沖縄中に広める』
具体的な数字でおくとどうすべきかはまた考えますが、そのままの気持ちを記すとこんな感じです。
頑張るぞ!
それでは!
やりたいことなんて、なくてもいい。
こんにちは、松田です。
突然ですがみなさんは、『やりたいこと』ってありますか?
…こう書くと意識高い人みたいですね。
別に、「やりたいことを持とう!」なんて両手を上げて言おうとしてるわけじゃないです。
やりたいことなんてね、なくてもいいんですよ。
やりたいことなんてなくても生きていけますし、幸せですしおすし。
それなのに、「やりたいことをもて!」と言われちゃう世の中なんてポイズンです。
勝手にさせてくれよって話です。
だいたいね、やりたいことなんて、ホイホイ見つかるもんじゃないんですよ。
砂漠の中から星砂を探すようなもんなんです。
難しいから、ほんとに。
でもね、見つける難易度が高いもんだからこそ、なによりも自分をハッピーにしてくれるんですよ。
それを見つけて持ち歩いてるときの楽しさは、おニューの靴をおろしたときの1000倍はあります。
やりたいことを見つけるためには、いろいろ経験するのが大事です。
そう書くと平凡ですが、経験っていうのはインターンをするとかスポーツをするとか、そんなざっくりしたものだけではないのです。
『透明なルートビアを完成させた』とか、『沖縄の植物で淹れたお茶でカイワレを育てた』とか、そんなのも含めて経験です。
そういう経験をしていくと、だんだんと、自分がやりたいことの輪郭が見えてくるんですよね。
「星砂はこの辺にあるかもよ!」と、教えてくれる感じです。
いろいろやってみると、自分のなかで好きか嫌いか、はたまた楽しいか楽しくないかと、感情が動くじゃないですか。
その感情がコンパスになって、指針を頼りに楽しい方に歩いてみると、いつの間にか、自分が本当にやりたいことをやってるわけです。
だから、やりたいことなんていつ見つかるかわからないものです。
でも、カテゴリーにこだわらず、自分が楽しいと思うことを続けていると、そのうち見つかります。
不安になる必要なんてないんです。
だからこそ、やりたいことをやってるから意識高いとか偉いとか、そんなもんじゃないんですよね。
みんな、自分の人生を生きてるだけですし。
それを他人と比べるから不安になって、こんなんじゃダメだと思ったり、人を見下して優越感に浸ったりするんです。
ぼくは、1人が寂しくなってきたのと、どうせならみんなで楽しみたいから誘ってみてます。
結論としては、楽しいとか悲しいとか、ふざけんなとか思うような経験をして、自分が本当にやりたいことはなんだろうと探してみて、それが見つかったら最高ですよ、というところですね。
そんなわけで、ちょっとだけ告知を。
5/25(木)の18:30〜20:30に、トポセシアで株式会社沖縄エジソンという会社の説明会があります。
【18時半開始】株式会社沖縄エジソン説明会 ~産休・育休が100%取れる会社です~ | Topothesia | 沖縄のカフェ&コミュニティスペース「トポセシア」
1972年の沖縄返還の年から沖縄を支え続け、今では沖縄になくてはならない立役者です。
だからほぼほぼ潰れることがなく、学歴に関わらず仕事ができれば誰でも昇格できます。社長にもなれます。
そのぶん給料も上がりますし、産休育休は100%取れます。
つまり、この時代にあって希少な、安定した環境で、やろうと思えば定年まで働けちゃう、子育てもしっかりできる会社なんです。
しかも、役員の方がめちゃくちゃ話を聞いてくれます。
鬱になったら、働けるようになるまで待ってくれます。
文系出身だろうと、IT関係に興味が出たら、ITの仕事を任せてくれます。
しっかりとした研修もあるので、文系出身でもプログラミング関係の仕事ができるようになります。
そんな、めちゃくちゃ良い会社の説明会が、来週あります。
ぼくは沖縄エジソンが大好きなので、自分のブログでも紹介したくてしました。
社長さんが超優しいんですよ。
マジで良い会社なので、安定がほしくて銀行や郵便局を受けてる方とか、沖縄で沖縄のために働き続けたい方とか、おすすめです!
こういう説明会で聞いた話が人生を変えたりもするので、前の話と結びつけると、「どんな経験が自分のやりたいことを見つけさせてくれるかわかりませんよ?」ですね。
そんな感じです。
それでは!
【仲間募集】一人であれこれ考えててもおもしろくなくなってきたから、一緒におもしろいことをやれる仲間がほしいです!
こんにちは、松田です。
限界です。
一人で生きられる力をつけようという思いで借金をしてスタートを切ったのですが、最近、一人でできることの限界を知り始めました。
人と何かをなしとげたほうがおもしろいという事実も。
だから、一緒におもしろいことをできる仲間がほしいです。
ぼくは今まで個人プレーで生きてきました。
中学のときのバドミントンもシングルだったし、高校では毎日一人で自主練と筋トレをしながら剣道をやって、受験勉強も一人でコツコツと。
大学でも学科からは独立して、大学の外でいろんな経験を楽しんできました。
いくつかのバイトもし、今はトポセシアに身を置いてやってますが、仲間と何かをするという経験はしてこなかったんですよね。
協力して物事を作ったのは、ビジコンのときくらいです。
それでもまぁまぁの結果は出してきたので、このままうまくいけるかなと思ってましたが、ここ数日で気づきました。
信頼できる仲間がいたほうが楽しい。
・・・ただ、人を信頼するのは怖いんですよ。
いろいろトラウマがあるのと、ぼくは人を信じすぎるので、裏切られたときが怖いんです。
正確には、裏切られたときに死にたくなるのが怖い。
もちろん、ぼくの周囲にいてくださる人はみんな優しい人たちだなと感じているし、信頼はしているつもりです。
でも、ぼくは人と付き合うときには、裏切られる可能性を考えて、多少の距離を置くんです。
裏切られたくない人には、精一杯の誠意を示しているつもりです。
ただ、一生懸命気と思考を使わないと関係を保てない(とぼくが思っているだけですが)のがしんどくなってきました。
つまるところ、家族がほしいんです。
互いに理解しあえて、気のおけない話ができるような家族が。
実際の家族はいますが、彼らは利害が一致しているからこそ付き合いがある関係なので、今までの借金と時間を返済したら関係は終わります。
ぼくは利害関係ではなく、一緒にいると幸せだから一緒にいるような、そんな関係がほしいです。
おもしろいことを笑いながら一緒にできる仲間でいられたら最高だなと思っています。
意味のないおもしろいことでもいいし、意味のあるおもしろいことでもいい。
ゆくゆく、自分たちがやってるおもしろいことでお金を稼げたら、より意味のないおもしろいことができて最高だなと思っています。
沖縄で一番バズを生める集団になれば、企業とか商品のPRとかをお金をもらってできるんじゃないでしょうか。
おもしろいことをたくさんやって、価値を生んで、いただいたお金で酒を飲んで、またおもしろいことをする、なんて生活ができたら最高だろうなーと思います。
おもしろいことというのは、記事とか動画とかの枠に収まらず、何でもやりたいですね。
おもしろいことで自分たちも、見てる人たちもハッピーになれれば最高です。
まぁ、関係を作るなかでいろいろあるだろうし、つらいこともいっぱいあるとは思います。
それでも、楽しいという感情がつらさを打ち消してくれるのをぼくは知ってるので、大丈夫。
とにかくやるだけです。
今回、ネットで募集してるのは、対面で誘うと迷惑がられそうだからです。
数人、この人たちと組みたいなという人の顔は浮かんでいるのですが、誘ったときに「迷惑に思われてるんだろうな」と、ぼくが自動的に思ってしまって誘えないんですよね。
その点、ネットだと100%向こうの意思できてもらえるので、余計な疑いをもたずにすむので、こういう形を取ってます。
こんなことを言ってますが、やってみるとぼくが人間関係を作るの下手すぎて、結局一人で何でもやっちゃう、みたいな感じになったらすみません。
始める前にそんなの書くんじゃないよと思われるかもしれませんが、可能性としてありそうなので、一応書いておきます。
肝っ玉の小さい人間ですみません。
最後に、ぼくの理想を書いておきます。
こういう世界になればいいのにな、という理想です。
今ってなんか、まじめすぎませんか?超窮屈じゃないですか?
なんで枠に収まらなければいけないんだという思いをもちませんか?
もっと好きにさせてくれよと思いませんか?
人が、自分の好きに生きたら、誰かを傷つける可能性が高いと思われてるんですかね?
だから枠に押し込めるんでしょうか?
支配下において、行動を制限して、生きさせているんでしょうか?
そんなの、支配してる側もされてる側も楽しいんですか?
ふざけるなよ。
もちろん、暮らしを支えてもらってるからぼくは生きているわけで、そこは本当に感謝しています。
だから、社会のためという考えをもっているし、そういう行動をしているつもりです。
みんながよりよく生きられればいいなと思っています。
まぁ、ぼくの怒りは的外れなのかもしれないし、別に誰も支配しているわけじゃないのかもしれません。
でも、これだけは確実です。
ぼくたちは、”勝手”に行動することを許されない。
許さないのは、親かもしれないし、貧しさかもしれないし、ルールかもしれないし、社会かもしれないし、自分かもしれない。
何かをするには、何かしらの許可を誰かにもらわなくてはならない。
なんて窮屈なのだろうかと、ぼくは思います。
勝手と言うのは、他人への理解と配慮と行動して結果に対しての責任があるものです。
もっと勝手に生きよう。
自分で自分に縛りを設けて行動を制限するのはやめませんか。
自分の人生を生きてほしいんです。
ぼくはこの世界が、みんなが互いを理解しあって、配慮しあって、自分のやることに責任を持ったうえで、勝手に何かをやってる、みたいなところになればいいなと思います。
そこに、自分の勝手で行動選択をする余地があるのかという問いに対しては、イエスです。
大いにあります。
他人への理解と配慮と責任があるからこそ、自分の心の声に従えるんです。
その心の声をそのまま出すことが、自分の勝手です。
人生は、もっと楽しいはず。
ぼくたちは、もっと楽しく生きられるはず。
ぼくたちが先陣を切って楽しいことをやり続けることで、もっと楽しさであふれる世界になればいいなと思います。
それでは。
意味のないことは、ぼくにとってのトラウマ
こんにちは。
自分の生きる意味について、考えたことはありますか?
ぼくは子どもの頃、両親が「お金がない」と言うようになり、日々ケンカをするようになってから考え始めました。
最初はたしか「自分がいないほうが、この人たちは幸せなんじゃね?」という思いがでてきたような気がします。
なんでこの人たちの苦しみを増やすために存在してるんだろうと思うと、いくら考えても自分がいないほうがいい、という結論しかでてきません。
なので自殺をしようと考えたわけですが、包丁で刺すには痛そうで、溺れるのは苦しそう。
焼酎を一升瓶分一気に飲めば急性アル中で死ねるかと思いましたが、結局しませんでした。
なんだかんだで生き続けました。小中高。
親の苦しみは増やし、生きてて何を生み出すわけでもないけど。
別におもしろいわけでもないし、何もない。
そんな人間だったので、自分に生きてる意味はないんだなと思いました。
他のみんなは個性的で、言動がおもしろいやつがいれば、スポーツが万能なやつもいて、みんな何か意味をもってそこに存在しているんだろうなと思うと、死にたくなりました。
怖かったから死ななかったけど。
あの頃は、今思い返すと、地獄でしかなかったんです。ぼくにとって。
何の意味もないのに生かされて、「お前のせいで私たちは苦しんでいるんだぞ。でもお前のために金をかけてやってるんだ。感謝しろ」と言われる毎日。
「自己犠牲の尊さなんて知らねえよ。じゃあ殺せよ」と言い続けましたが、やっぱり自分の手は汚したくないのか、殺されませんでした。
寝てる間に子どもの首を折るくらいカンタンだと思ったんですけどね。
そんなわけで、『意味のないことをしている』というのは、ぼくにとってトラウマなんです。
意味がないのに、時間だけを空費しているあの頃は、苦しくてしかたなかったので、二度と戻りたくないのです。
とにかく、意味のないことをしたくない。
意味のないことをしていると、またあの頃のような気分に襲われる気がするから。
だから意味を感じない飲み会には参加したくないし、意味のない会話をすると相手に嫌われる気がして、できない。
だから、すべてのことに何かしら意味をもたせようとするんです。
アホなことをやってても、あれにはすべてぼくなりの意味があるので、ぼくは楽しいです。
生きている気がするから。
『意味のない会話』の重要性はとても理解できるし、できなきゃと思うんですが、ぼくのなかでは「意味のある意味のない会話をしなきゃ」という思考になるので、難しい。
でも頑張ります!
まぁ、いろいろ暗いことばかり書いてきましたが、これだけは言いたいです。
苦しいことを経験して思考を変えて、楽しいことを見れるようになると、人生は楽しい。
だから、死ぬなんて思わずに、変なことで頭をいっぱいにして生きてほしい。
ちょっとイカレてるくらいが、人生楽しめると思いますよ。
それでは!
信念のある他人の言葉を届けたい。魂が叫ぶ自分の言葉を届けたい。ロックンローラーのようなライターに、ぼくはなりたい。
「君の夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ。風の強い日を選んで 走ってきた」-『funny bunny/The pillows』
「道なき道を 踵を鳴らしていこう」-『My Foot/The pillows』
「死ぬ間際に 悔いはないと 言えるように 生きていたいだけ」-『アンサイズニア/ONE OK ROCK』
「胸張って生きろよ。虚しさに殺される前に」-『YES/サンボマスター』
「神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを ねだるなんて 本気なのか?」-『青空/THE BLUE HEARTS』
ロックバンドが歌う言葉は、ぼくの心を震わせる。
彼らは、世の中や人間を取り巻く環境に、訴えたいことがあって、自分の言葉を貫いている人たちだと、ぼくは思っている。
だから彼らの言葉には、まるで本人に直接言われているような力強さを感じるのだ。
『ロックで独立する方法』という本のなかで、忌野清志郎さんが言っていた。
「『好きなことをやり続ける』はそんな安っぽいもんじゃない、って思う。『世間のせいにしちゃえるほどのこと』を自分ができているか、っていうのが大切なのかもしれない。」-『ロックで独立する方法 32Pより抜粋』
「周囲が最初からそんなに『理解』してくれちゃってたら、本気でロック・ミュージシャンになる決心なんて、できるんだろうか?周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて『よし、オレの気持ちはホンモノだ』っていう決心が固まっていく・・・そういうもんじゃないのか?」ー『ロックで独立する方法 50Pより抜粋』
ぼくは、ライターとして生計を立てたい。
いや、ライターとして生きていく。
これは、ぼくにとっての絶対だ。
ぼくは、自分の知らない世界を知りたい。
見たことのないものを見たい。
自分の好奇心のままに生きていきたいのだ。
もちろん、責任を果たし、恩を返しながら。
もし、それができないのであれば、あの世を探検しにいく。
その覚悟はもっているつもりだ。
ライターになる、という決心は揺らがないが、時々、自分の力のなさを痛感することがある。
企画を立てても、うまく人を巻き込めないとき。
自分の言ったとおりに、物事を動かせないとき。
自分をぶっ殺したくなる。
恩があるのに、それを返す力のない自分に存在する価値はあるのか。
責任を果たせない自分は死んでくれ。
もちろん、自分の努力が足りてないだけだし、言葉が過激なだけで、ただの弱音でしかないことはわかっている。
そんな無駄なことを言ってる暇があるなら、やるべきことをやれよと、自分に言い聞かせている。
ただ最近、その言葉のエネルギーを向ける方向と使い方さえ間違わなければ、前に進めることを知った。
自分に言葉を向けるから刃物に形を変えるだけで、外に向ければ暖かい手やハンカチにも姿を変えるのだと。
そのエネルギ-は、自分が心の底から思っていることを言葉にしなければ生まれない。
当たり障りのないことを言っていても、誰のこころも動かせやしない。
ぼくは常に、そのエネルギーを感じていたい。
そのエネルギーを感じているときだけ、ぼくは生きている気がするから。
だからぼくは、他人の口、自分の口、誰の口から出たかに関わらず、信念のある言葉を聞きたいし、それを聞いて生きられる人がいるなら、届けたい。
それを聞いた人たちに、明日も生きてほしい。
ライターとして食っていくためには、まだまだ乗り越えなきゃいけない壁がある。
まだまだ開けていない扉がある。
おそらくそれはしんどいことを経験し続けることだと思う。
けれどもそれ以上に、自分の好きを貫きたい。
自分が生きたい人生を、生きたい。
より多くの人のためになることをやっていこう。
人に理解されなくても、自分が自分を理解していたらそれでいいんだ。
この道を行こう。
そう思わせてくれる一冊でした。
忌野清志郎さんに敬意を込めて