物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

ライオンと剣の国の冒険 4話目『夜風に吹かれて』

旅に出ると、何かに導かれて街に出かける夜がある。

今日もまた、そんな夜だった。

 

 

スリランカ人はおすすめしないけれど最高の街、クルネーガラをバスで出発したぼくたちは、国際空港があるネゴンボを目指した。

乗り合いバスに揺られながら、どこもあまり変わらないスリランカの風景を見ながら、約2時間経った頃。

ぼくたちはキリスト教徒の町に降り立った。

土地や建物の雰囲気からして、『町』という漢字を使いたくなる場所だ。

 

スリランカには、ムスリム教・仏教キリスト教が、それぞれ違う地域に根付いている。

世界的に有名なのはダンブッラやキャンディにあるような寺院だが、モスクや教会も多くある。

しかも宗教徒たちは寛容で、誰でもモスクや教会にまで入れるようだ。

ぼくは今日、モスクでムスリムに混ざってお祈りをした。

この3宗教は厳密に区分けされてはいないようだが、キリスト教徒の町にはイエス様やマリア様の像があり、仏教徒の町にはブッダの像がある。

同じ人種のはずなのに、信じる神様が違うからか街の雰囲気や人柄がガラっと変わるからスリランカはおもしろい。

 

バスを降り、ぼくたちは予約していた1300円の安宿に向かった。

『Radis homestay inn』という宿だ。

オーナーが気さくで、ホームステイの名の通り、人の家に泊まっているような感覚を味わえる良い宿だ。

シャワーからは、ティーを淹れられるほどのお湯も出る。

着いたのは夜の8時頃だったので、オーナーに誘われるままホテルでビールを飲み、夜食を食べた。

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スリランカのどこでも食べられるフライドライスもコットゥも、スリランカのどこよりも辛くなくて食べやすかった。

ぼくたちが日本人だと聞いて配慮してくれたのだろうか。

そう思わせてくれるようなオーナーの人柄と、イギリスの港町を思わせる風景のおかげで、スリランカ旅史上最高の食事だった。

 

バスを降りてからずっと夜のネゴンボを歩きたかったぼくたちは、食事を終えてさっそく出かけた。

行く先は海だ。

徒歩10分ほどの場所にあるので、夜の海と波の音、そして星が輝く風景を楽しみにしながら歩いた。

気温は自信をもって快適だと言えるほどで、なにより そよ風が気持ちいい。

散歩しないで何をするんだと思ってしまう道だった。

 

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しばらく歩いて、海に着いた。

星は見えなかったが、男2人でタバコをふかせながら眺めるには最高の海だった。

とはいえ向こう岸のせいで水平線までは見えず、どうせなら向こう岸に行こうとさらに歩く。

人間の家を守っているらしい野良犬たちに吠えられながら。

ワンワン吠える彼らを諫めながら角を曲がると、バイクに腰かけてタバコを吸っているお兄さんに声をかけられた。

「Where are you going?」

お決まりのフレーズに、ぼくはこう返す。

「Go to the beach」

「No beach near here. Do you like music?」

「Yes,why?」

「Near here,there is a concert. We can dance,sing on there.」

「Like a club?」

「Yes. Do you like a club?」

「Yes,I like.」

「Good.You will be enjoy there.」

どうやら近くにクラブのような踊り場があるらしい。

それを聞いた瞬間、行くことは即決した。

スリランカのクラブに興味がわいたからだ。

クラブが苦手な友人は気乗りしていなかったが。

とはいえまずはビーチに行きたかったので、ないと言われても水平線を探しにいった。

その途中で、思わず「Great...!」とつぶやいてしまう町並みがそこにあった。

 

そこはただの住宅街だったのだけれど、並んでいたのは、洋風な装飾が施された裕福そうな家だったのだ。

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スリランカに来て初めて、異文化の混ざったスリランカを見れたようで嬉しかった。

こういう『その場所でしかみれないオリジナルの風景』が好きなのだ。

だから、沖縄のアメリカンビレッジも好きだ。

スリランカで初めてスリランカの歴史が見える場所だったので、一人で興奮しながら歩いた。

誰も行かないような細道まで楽しんだ。

 

結果としては、その先に海はなかったのでクラブに行くために引き返すと、さきほどのお兄さんがいた。

どうやらお兄さんもクラブに行くらしく、バイクに乗せていってくれるとのこと。

「Is it free?」と聞き、「Yes」と答えるその言葉に甘えて3ケツでクラブに向かった。

 

 

 

そこは、クラブというにはあまりに広く、何より屋外だった。

日本のクラブを思い浮かべていたぼくは、想像をはるかに超えてきたその光景に、思わず叫んだ。

 

「Fantastic!!!!!!」

 

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そこは、元刑務所の空き地を使ったコンサート会場のようだった。

 遊園地の遊具もあり、よくわからないけど楽しいことだけはわかる、そんな場所。

家族連れも多く年代もバラバラで、みんなで音楽を楽しんでいるようだ。

周囲には出店も多くあり、ちょっとしたお祭りだった。

お兄さん曰く、ライブをしているのは『Arrow star』というスリランカのバンドらしい。

ヒンドゥーっぽさがありつつ、ノリのいい曲に体を揺らせながら楽しんだ。

 3人で気持ちよく踊っていると、近くの子どもが寄ってきて一緒に踊った。

ブルーノマーズのPVのような踊りをする少年だった。

それからぼくたちと同じくらいの年代の青年2人組も寄ってきて、一緒に踊った。

踊りながら、吸っていたタバコを交換した。

 

そのまま一緒に踊っていると、片方の青年がいろいろ聞いてきた。

「Where are you from?」

「What's your name?」

「How is this songs?」

それらに順当に答えながら踊りを続けていると、こんなことを聞いてきた。

「Did you drink?」

すでにホテルでビールを飲んでいたので「Yes」と答えると、彼は続けてこう言う。

「Shall we go outside?」

 

連れ出されようとしている。

それはわかった。

でもそのときはなぜかよくわからなくて「Why?」と聞き返すと、いいから外行こうよみたいなことを言ってくる。

しかしちょっと考えると、意味がわかった。

 

ぼくはナンパされているのだ。

いやとなりを見ると、”ぼくたち”だった。

彼らはゲイで、この状況にいるぼくたちは、受けの立場なのだ。

タバコを交換したのは、自分がゲイであるという証しだったのだ。

ぼくはゲイの人たちが手をつないでいるのを微笑ましく思うし、男同士で付き合ってはいけないなんていう意味のわからないルールに負けずに、存分に幸せになってくれと思っている。

フィリピン人のゲイにキスされたとき、悪くはないなと思った。

しかし今この状況で連れ出され、ローションもないようなところでそっちの初めてを失いたくはない。

痛いのは嫌なのだ。

しかも出会ったばかりで、満足に意思疎通ができないやつらに掘られるのは怖すぎる。

 

今まさに食われようとしているとわかったので、踊りたいからここにいると言いつつ誘い文句のジャブを避けた。

しかし完全にぼくたち2人をターゲットにしているのか、激しくボディータッチをしてくる。

友人なんてラブソングらしいバラードを、目を見つめられながら歌われる始末だ。

 

『こいつらはすでに、妄想の中で射精している』

 

それを悟った瞬間、ぼくと友人はアイコンタクトでうなずき、2人組に帰るねと告げた。

しかし彼らはなおも食い下がり、ぼくの腕をつかみあと5分だけと言ってくる。

とにかくぼくたちは、できることなら永遠にノンケでいたいので、無理無理もう帰らなきゃと言いながら、手を振りほどいて足早に立ち去った。

スリランカのコンサートもゲイのナンパも、その他すべても初めて尽くしの、良い夜だった。

 

夜の海風に導かれ、スリランカの夜に入りこめたことを幸運に思う。

ぼくたちは夢を見なきゃ生きていけない

現実を現実のまま受け止めて生きていくにはしんどすぎる。

ただ過ごすだけの毎日はつまらない。

目の前のやるべきことに向かわなきゃいけない事実にため息がでる。

 

だからぼくたちは夢を描くし、夢を見る。

目の前のやるべきことは、将来の夢を実現するための一作業に置き替える。

自分の日常を他人と比べ、それでも自分の方がと妄想をする。

事実の解釈を変えて、受け止めやすくずっと見ていられる夢にする。

 

ぼくたちに生きようと思わせてくれるのは、夢だ。

こうなりたい、こうしたい、そんな夢がある間は、元気に歩いて行ける。

 

 

 

 

 

そして、事実に気付かされた瞬間、死にたくなる。

ぼくらを取り巻くクソッタレな何かを殺すために記事を書く

中学生の頃は、殺し屋になりたいと思っていました。

殺したい人を代わりに殺す人。

とくに、理不尽を押し付けてくる人間をぶっ殺したいと思っていました。

自分には、そいつに逆らう力も対抗する力もないけど、殺したいほど憎いことをされたから殺してほしい。

そんな要望を叶えられる人間になりたかった。

理不尽を押し付けられる憎しみは理解できるから。

とはいえ一般的な倫理観を入れられた僕には、とうとう一人も殺すことはできませんでした。

そもそもビビりですし。

そんなこんなで自分のなかの黒い本質のようなものに蓋をしながら生きてきたのですが、最近自分について考えていくうちに、この黒い部分と向き合わざるを得なくなってきました。

というか、今までの笑顔や明るさは、社会で可も不可もなくやっていくためにだけ身に着けた仮面なのではないかと思ったのです。

・・・あぁ、自分は自分で思っているより歪んでたんだなと、少しだけ悲しかったです。

自分の本当にやりたいことを見つけた気がする感触もあったので、多少の嬉しさもありましたが。

 

さて、とはいうものの、大人になった僕は『人殺し=犯罪』という法律に守ってもらっています。縛られているともいいますかね?

だから肉体的に殺しはしません。

ただ、自分が押し付けた理不尽と同等の、理不尽と憎しみと悲しみと怒りと絶望を自分も受けることで償ってもらいます。

とくにレイプしたやつとかね。自分の失敗を下の人間に押し付けてやり過ごしたやつとかね。

 

あとはこう、現状に悪影響を与えてる周りの諸要素を殺したいです。

そんなことを考えながら記事を書くのが一番楽です。

 

そういう意味では、苦しんでいる小さな声に救いを与えられる人間でありたいなと思います。

ジャーナリストになろ。

幸せは誰かの手の中かもね

いろんな世界を見たいとか、広い世界で生きていたいとか思って生きてきた。

けど、そこにぼくの幸せはなかったのかもしれない。

21歳でこんな悟ったことを言うのもなんですが。

今の気持ちを率直に言うと、すげー飼われたい。

うん、たぶんそうだわ。

ここが君の住む場所で、ご飯は毎日あげるね。

もう私しか見なくていいからねって言われる状況で、飼い主のことだけしか考えられないような状況に追い込まれて死にたい。

 

・・・逃げてる?

そうかもね。

自分の人生でやるべきことを全部投げ出したいだけかも。

でもさ、どうしていいかわかんないんだもの。

わかんないならわかんないなりに調べてやれよって言われるかもしれないけど、何のために?

とくに何も必要とされてないこの状況で、というか、求められていない今、もういいんじゃないかな?

 

自分は、本当は、おやすみプンプンの田中愛子のような人間かもしれない。

って書いている今は、変なテンションに飲まれているだけかも?

それでもいいや。それもたぶん自分だから。

 

一度でいいから、他人と、他人と自分の境界線がなくなるまで分かりあいたい。

分かり合ったその瞬間、死んでもいい。

だからたぶん、ぼくが今まで本当にほしかったのは、家族だ。

すべてを理解したうえで受け入れてくれる家族がほしい。

そんな人を探すための金であり、旅であり、仕事なんだと思う。ぼくの人生は。

 

終わってますかね、ぼくの人生。

これから始まってほしいものですが。

ぼくは光の世界の住人ではなかったのだと思う

夢を叶えるぞー!とか。

自分は将来こう生きるんだ!とか。

人の役に立つんだー!とか。

なんか、本気でそう思えないんですよね。

そういうふうに動いてる自分に遭遇すると、「誰これ?」って思うんです。

今まで必死に、真面目な後輩をやってたけれども。

すべてのメッセージに「!」をつけちゃう先輩を慕う系人間の典型として生きてきたけど、あの文章が持ってたような輝きは、ぼくのなかには、実はなかった。

あれはなんだったんだろうか。

たぶん、演じてただけだと思うんですけど、もしかしたらあれは本当の自分だった?

自分ではそうは思えないけど、どうなんでしょうね。

ただひとつ言えるのは、あのときのぼくは外から見ると、よくわからないやつだったということ。

よくわからないというのはたぶん、ぼくが自分を見せていなかったのか、僕自身も本当の自分がどんなやつだったのかを知らなかったということ。

まぁ、24時間のうち、7時間くらいは親をどう殺そうかばかり考えてたようなやつが、まともなわけないですよね。あはは。

結局は殺さなかった、ただの小心者。

 

けど、それってぼくだけなのでしょうか?

もしかしてみんな、自分のなかの黒い部分を必死に隠して過ごしてる?

これは本当の自分の人生じゃないんだと心で叫びながら、笑顔を盾にして生きてるの?

もしそうなのだとしたら、ぼくは考えを改めて、明るい自分に将来を託して黒い自分を抹殺せざるを得ません。

そうしか生きられないのなら、背に腹は代えられませんし。

 

ただこれが本当のぼくなのだとしたら、このぼくでの戦い方を見つけて生きていきたい所存であります。

こんなぼくでいていい世界はあるのだろうか。

なかったらないで、どうでもいいですが。