物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

スエードスニーカーを磨いてみよう

こんにちは、松田です。

最近、スエードのスニーカーを綺麗にしました。

スエードのスニーカーって、けっこう履いてるひと多いですよね。

履かれてるランキングも全靴のなかでも上位だと思うので、今回はその磨き方をまとめました。

汚れが落ちてピカピカになった靴をみると幸せな気持ちになるので、お時間があればぜひ試してみてください!

 

磨き方①『ブラシをかける』

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靴用のやわらかいブラシで、汚れを落としてあげてください。

このとき強くかけてしまうと、起毛しているスエードの表面がへたってしまうので、ややさしくブラシをかけましょう。

 

磨き方②『ソールを拭こう』

 

 

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 ソールとは、ここの部分です。

 

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いらない布やタオル、ガーゼなどで、矢印の方向に拭いてあげてください。

ゲキ落ちくんがあれば、ゲキ落ちくんが一番良いです。

なかったらティッシュでも大丈夫ですよ!

ティッシュのかけらがボロボロ落ちてきて大変ですけど。

 

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ごしごし拭くと、写真の手前の靴のように真っ白になります。

奥がまだ磨いてない靴なのですが、違いが一目瞭然じゃないですか?

 

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ソールを磨いた後は、熱湯を水で割ってぬるま湯をつくり、タオルを湿らせて全体を蒸らします。

このとき、タオルでくるめていない箇所がないようにするのがポイントです。

 

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10分ほど蒸らしたら、洗顔せっけんをネットで泡立てて、泡で靴を覆います。

覆うときは、泡で靴の表面をなでてあげてください。

こするとその部分だけ強く色落ちしてしまう上に、スエードの表面がへたってしまいます。

あと、この工程に入る前は、作業場を片付けたほうがいいなと思いました。

 

この状態で3分ほど放置します。

3分経ったら、バケツか洗面台に水をため、手酌で靴に水をかけながら泡を落としていきます。

 

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泡が落ちたら洗濯ネットに入れて干します。

このとき靴を逆さにして干すと水が靴のなかにとどまってしまうため、靴底を下にし、地面に対して平面にして干します。

 

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あと、全体が均等に乾いていくよう、直射日光は避けてあげてください。

ぼくはそこにあった布団干しで日陰をつくりました。

 

そして1日置いて、乾くと完了です。

 

色落ちしていた場合、もともと色が落ちていた場合は、ここから補色をしていきます。

そこで使うのが、これ。

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東急ハンズで、1000円くらいで買えるものです。

 

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中にはこんな感じの、小さいスプレーが入っています。

一回で少量の染液が出るので、色の薄いところにかけたり、まんべんなく全体にかけたりして、補色をします。

どこまで色を入れるかは完全に自分の好みなので、好きなところでやめるのがいいと思います。

あと、どうでもいいことですが、このヌバックはめちゃくちゃいい香りがします。

 

また、ネット上には『スエードにはオイルを塗るといい』という意見もありますが、そうするとせっかくふわふわな毛が固まってしまうので、おすすめしません。

もしも塗ってしまったら、沸騰させたお湯をタオルにつけながら拭き落としましょう。

油とろうと有機溶剤で構成されているオイルなら、それでふわふわが戻ってきます。

 

さて、ヌバックをふりかけて、乾かすと・・・

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完成です!

どうですか、この色の良さ。

たとえ色落ちしても、自分の手で色を直すことはできますので、よかったら試してみてください。

ぼくの方だと、800円で承っておりますので、自分でやるのがめんどくさいときには、どうぞご利用ください。

それでは!

ぼくは親に、自分の人生を生きてほしい

こんにちは。松田です。

ぼくは、自分たちの当然を押し付けてくる両親が嫌いです。

でも、いまを楽しく生きていられる基盤をくれていることに恩を感じています。

だからこそ、彼らにそろそろ自分の人生を生きてほしいのですが、子どもを心配することが生きがいになってしまったようで、聞く耳をもってくれません。

ずっと人の言うことだけを聞いて生きてきた彼らは、言うことを聞かせてくれてた誰かがいなくなった今、自分がどう生きていいかわからなくなっているようです。

そのせいか、ここ数年は会うたびに老けている感じです。

人に散々「言うことを聞け」と言ってきた結果がこれかいと。

言うこと聞いてりゃ人生ハッピーだったんじゃないですか?

あなた方の言うことをしっかり聞いてたお兄ちゃんは、引きこもりがちで人と話せない男の子になりましたが?

というふうに、目に見える形の結果が出始めたので、そろそろ彼らに自分でどう生きるかを決めてほしいなと思うのです。

 

ぼくは親に、小学生の頃からずっと、「俺の勝手にさせてくれ」と言い続けてきました。

生き方を決めるのもどうなりたいかを決めるのも俺の勝手だろうと、選ぶ権利はあるだろと思っていたからです。

親はそんなぼくを最後まで理解できなかったようで、最近では、いろいろ諦めてくれました。

ただ、勝手にできなかった頃のぼくの発言については、傲慢だったなと今になって思います。

とはいえ、自分の生きがいのために人を縛り付けようとする行為には、いい加減うんざりです。

と言いたいのですが、ぼくはまだ親に心配をかけさせてしまう不安定さをもってしまっているので、なんとも言えません。

なので、親にはぼくが自分で生きている姿を見てもらって、楽しそうだなと思ってもらって、勝手に自分の人生を歩んでもらいたい所存です。

彼らを心配から解放するためには、なんとしても生活ができるだけの収入が必要だなと思っています。

というところで、今月末の支払いが、いまの収入を大幅に上回っているので、すみませんが仕事をください!!!

先日、ためてたオモコロの記事を提出しました。

いろんな仕事をためててほんとにすみません!!!

一通りためてた仕事をしたのと、6月にオモコロ合宿に参加するお金が必要なので、何か仕事をください!!!

精一杯記事を書かせていただきます!!!

 

ちなみに、「勝手に」という言葉は、「自由を振りかざす」という意味ではなく、「配慮したうえで自由を主張する」という意味なのであしからず。

 

ぼくは、「普通」でありたくない

こんにちは。松田です。

ぼくは、考え方の軸に「変でありたい」というものがあります。

普通のひとでいたくないのです。変なひとでいたい。

普通のひとと言うのは、なんというか、「誰かと似てる」とか「どこにでもいるひと」的なニュアンスです。

変なひとというのは、よくわからない行動を取るし、その行動の理由を聞かなきゃ理解できない、もしくは聞いても理解できないようなひと。

そういう人が大好きだし、自分もそうありたいのです。

 

というのは、ぼくの親が「普通」だったからなんです。

ぼくの親は両親とも「普通」で、いつもぼくに「普通であること」を押し付けてきました。

「勉強をするのが普通だからしろ」「22時に寝るのが普通だから寝ろ」

彼らの行動の理由は常に「普通だから」でした。

彼らはそうやって、「普通だから」結婚して、「普通だから」子どもを産んだんでしょう。

結婚や出産の経緯は知りませんが、「普通だから」生きてきた彼らは、ぼくが物心ついたときにはすでに不幸そうな顔ばかりしてました。

毎晩酒を飲んではキレ散らかし、「俺のこと嫌いだろ?」と子どもを問い詰める父親、呆れて逃げつつ、「これだけやってあげてるんだから感謝しなさいよね」と子どもに感謝を強要する母親。

「普通だから」生きてきた彼らは、なんだかもう限界だったように、ぼくの目には映っていました。

そんな彼らを見て育ったぼくは、「普通」のままいると不幸になるんだなと思ったのです。

 

ただ、その環境で育ったぼくも、当然のように普通でした。

言われたことをきちんとこなし、上っ面だけ優しく、マッシュルームヘアな少年でした。

だから、普通に同じ感じの友達と、仲良くやれるのかと思いきや、無理でした。

中学くらいでぼっちになりました。

正確には、周りにひとはいたけど常に一人でいる感覚だった、って感じです。

小学校のときに、友達だと思っていた子に、突然「もう話しかけないで」と言われてショックを受け、人付き合いがめんどくさくなってやめたからです。

テレビドラマなんかにも興味を示さずマンガばかり読んでいたため、コミュニケーションが壊滅的に下手になりました。

それでも表面上は普通だったので、誰にも興味をもたれることなく学生生活を送っていました。

 

ですが高校2年の夏前、ぼくは坊主にしたのです。

16年くらい続けたマッシュルームヘアをやめて。

そこで、ぼくの「普通」の中の一つが消えました。

 

『昨日までクラスでまったくしゃべらなかったぼっちが、突然坊主にして登校してくる』

という「変な」状況を提供したぼくを、当時しゃべったことのなかったクラスメイトたちはめちゃくちゃいじってくれました。

それから、廊下で服を脱いだり教室で服を脱いだりと、変なことをし続けた結果、始めて心を通わせられる友達ができました。

そこで気付いたのです。

 

「変であることが、ぼくが前へ進むためのコミュニケーションの取り方なんだ」と。

 

だからぼくは、変でありたい。

今のところは受け入れられないことのほうが多いというか多すぎるくらいですが、全身を赤くしたりいろいろしながら頑張っていこうと思います。

 

 

6人のお客様の靴を磨いてみて思うこと

こんにちは。松田です。

靴磨きを初めて約3週間がたち、6人のお客様にご利用いただきました。

中にはリピートしていただいたお客様もいらっしゃいまして、嬉しいです。

本当にありがとうございます。

 

さて、そんな靴磨きをしている中で、ぼくは仕事について少しだけ学びました。

仕事とは、自分にできることで相手の要望を叶え、なおかつ相手の期待を越えること。そうすることで初めて、対価としてお金をもらえることだと学びました。

ぶっちゃけ、靴磨きを始めたときは、靴をピカピカにするくらいしかできなかったです。

でも「この靴も磨ける?」という質問に対して「できます!」と答え、いろんな靴を任せていただき、いろんな靴用品を試す中で できることが増えていきました。

一般に、仕事選びで大切なのは「できること」「求められていること」「やりたいこと」を重ねることだと言われますよね。

今のぼくは、靴を磨いたり補修したりでき、それを望んでる人たちが周囲にいて、ぼく自身靴を磨くのが好きなので、全部重なってます。相手も自分もハッピーな状態です。

正直、寝る時間を削ってもやってられます。

 

そんなに好きな仕事をやらせていただいてて強く思うのは、仕事は自分のためにやるものじゃないなということ。

喜ばせる相手がいて、その相手を喜ばせてこその仕事だなと思うのです。

で、相手が喜んでくれるのは、相手ができなくて困っていることを代わりにやって、解決するからこそ。

その成果は、自分が好きなことや得意なことをやるから、相手の期待を越えるわけです。

自分の仕事が誰にどんな喜びを提供しているかを考えられることは、仕事をするうえで大切なのだと思います。たぶんバイトでも。

 

また、とくに今のぼくの状況で、自分本位な仕事を始めたら速攻で潰れますね。松田屋は。

妥協だけは、死んでもしないようにしています。

どうすればピカピカになるか、どうしたら傷が埋まりきるかを調べて考えていろいろ試して、やりきってからお返ししてます。

 

また、自分が稼ぎたいからという思いが先にあるような価格設定をしたらダメだと思っていたので、最初はめちゃくちゃ安い設定にしていたのですが、とはいえ自分の生活もあるし、かといってお客様に喜んでもらえる価格設定はどれくらいだろうか・・・と価格設定についてはめちゃくちゃ悩んでます。

個人でやってるので、他の会社の設定はあまりあてにならないですし。

今後何回か変動するとは思うので、ご迷惑をおかけしますが本当にすみません。見えざる手に任せてみます。

 

いろいろ書きましたが、ぼくにとって靴磨きは、本当に自分がやりたいことなんだと、やってみて気付きました。

靴を綺麗にするのが最高に楽しいです。

だから「自分が本当にしたいのはこんなことかな?」と思うことがあれば、やってみることをおすすめします。

というか、就活中に面接で話しながら見つけていくより見つけやすい気がするので、何かそういうインターンというかプログラム的なのが作れたらいいですね。

自分の中のやりたいことを、ちっちゃく実現して形にして、ある程度時間が経った後に細かく相談しながら、やりたければ継続して、違うなと思ったら他のことを試してみる・・・みたいな。

それこそ、自分の人生を選択していくうえで大切な過程な気がしてきました。

ちょっと考えときます。案があればください!一緒に考えましょう!

使う方法が見当たらないもの以外はいらない

こんにちは。松田です。

最近、「沈黙のwebマーケティング」と「Twitterで会社をPRする方法」という2冊の本を読みました。

で、さっそく書いてあった内容を使って記事を書いたりTwitterの運用方法を考えて実践してみてます。

知識は使ってみてこその知識だなあと思うのです。

いくら本を読んでも話を聞いても、今のぼくに使えない知識や情報は頭の中で腐ってきえてくだけだなと。

だから今すぐ使える知識を得ることこそ重要で、それを使ってすぐに身にしていくことで前に進めるのだなと。

これは、自分で生き始めて初めてわかったことです。

それでは!