物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

単純で視点が偏りがちな自分がやっぱりしんどい

こんばんは。

 

お気づきの方も多いかとは思うのですが、改めて言わせていただきますと、ぼくはけっこう単純で考え方が偏りがちで、頑固な人間です。

ぼくは今日思い知ったんですけど。

 

いろんな経験をして、いろんな考えを入れて、ようやくいろんな考え方ができるようになったのではないかと思っていたのですが、そんなことはなかったみたいで。

 

今までやってきた努力は何だったのだろうかと頭を抱えました。

 

思えば、小学生の頃同級生に言われた

「お前ってほんと単純でつまんないよな」

という一言を、ずっと自分の中に引きずっているのかもしれません。

 

単純なのは悪いこと、みたいな方程式が自分の中にありまして、なんとか、歴戦の戦略家のような、いろんな考え方を持った人間になりたいなと思って生きてきましたが、どうやら無駄だったようです。

 

いや、無駄ではないのかもしれませんが、約10年かけて努力して得たものは、

『どんなに努力をしようと、自分の根本は単純』という事実。

 

自分は変化球を投げたつもりでも、バッターから見ると全部ストレートじゃん、みたいな感じ。

 

つまり、自分には見えないところがほぼ全ての他人には見えていて、自分は踊らされてる側の人間なのだろうかと考えると、へこみますね。

 

ただ昔から、人が話してる話題で、理解できないものがあったのは覚えてるんですよ。

 

たしかその話題は、あの人とあの人の関係性がどうで、自分はあの人にどう見られててどういう関係で、みたいなものだったと思います。

 

なにそれ、そんなのわかんなくない?

 

と思ってきました。今まで。

 

つまるところ、ぼくは他人を正確に見れず、自分の思い込みだけでいろんな判断をしていて、結局1人の世界で生きてる、みたいな感じなんでしょうね。

 

なんか、自分を押さえつけてる殻の輪郭が見えてきた気がします。

 

まぁ、なんやかんやで生きてくしかないんですよね。

 

「与えられたカードで戦うしかない」というスヌーピの言葉を胸に、今日も頑張ります。

 

できれば、誰か優しい言葉をください。

 

それでは。

「学校を卒業した先に、生きたい人生はあるのか?」

この問いに対するぼくの答えは、NOだ。

 

自分で決めて入った学部だけど、地理の勉強をした先に、ぼくの生きたい人生はない。

 

ここで習った何かしらの知識は役に立つかもしれないが、ぼくは今この瞬間に自分のレベルを上げてくれる経験をしたい。

 

そこから得られる知識がほしいのだ。

 

学校が与えてくれる知識はぼくを生かしてはくれないが、自分で取りに行った知識は、お金になってぼくのお腹を満たしてくれる。

 

それをここ最近、実感している。

 

結局大体の人が、「学校に行っておけば人生なんとかなる」という幻想に身を委ねて、自分の人生の舵取りを他人任せにしているのではないだろうか。

 

もちろん、自分で考えて行動している人も多くいるし、ぼくはその人たちを尊敬している。

 

自分の頭で考えて行動することのしんどさをぼくは曲がりなりにも知っているからだ。

 

そのしんどさの対価が、自由な人生、好きなことをやれる人生だと、ぼくは思っている。

 

今ぼくが学校に通っているのは、親への義理だ。

 

「大学に行かせる」という目的のもとで多額のお金を使ってもらったので、そのお金を無駄にしないためだけに、ぼくは学校にいる。

 

だけど、大学に通って、学歴を得る以上の見返りが学校以外のところで得られれば、親を説得して辞めるつもりだ。

 

だから正直、わざわざお金を払って、全員でちょっといいホテルに泊まって、協力して調査をするという学年別の研修なんて行きたくはない。

 

その研修に行かなければ単位がもらえないなんて、バカにしているのか。

 

したい調査があるなら勝手に行くのに、形式だけの調査をさせられて、その時間に何の意味があるのだろうか。

 

なぜ、大して興味もないことにお金をかけなければならない状況に、いなければならないのか。

 

大学側も、興味がない学生になんか適当に単位を渡して卒業させればよいのではないか。

 

入学させた以上、最低限の学力を身につけさせる必要はあるのかもしれないが、せめてもう少し転学しやすい環境を作ってはもらえないだろうか。

 

もとをたどれば大学に"入ってしまった"ぼくが悪いので、うまい逃げ道を探すしかないが、

同時に、「それ以外の選択肢を与えてくれなかった環境」を壊していきたい。

『考え方を変えるのには時間がかかる』という当たり前のことに気づいた

こんにちは、松田です。

最近、こんな本を読みました。

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これは、社会派ブロガーのちきりんさんと、格闘ゲームの世界チャンピオン梅原さんが、学校教育について対談したときの話がまとめられた一冊です。

 

もともと、学校ではずっと優等生で、今では独自の社会的地位を確立した ちきりんさんと、

学校では寝てばかりだったけど、今では格闘ゲームの世界チャンピオンになった梅原さんが、

互いにほとんど関わっていない学校教育という領域についての話をしています。

 

この対談のなかで一番興味深いのが、「学校的価値観を刷り込まれると、自分らしく生きられなくなる」という話。

 

学校的価値観とは、簡単にいうと『人に合わせて行動するのが正しい』というような考え方です。

 

人に合わせて、目立たないような行動選択をし続けた人間が増えた結果、ただの歯車が増えてしまった。

 

それはまさしくぼくも感じているところで、ぼく自身、大学に入って、自分がどう生きたいかを考えなかったら、ただの社会の歯車として取り込まれ、誰でもできるような仕事だけをしていたんだと思います。

 

ぼくもずっと、目立たないように、人に合わせて生きてきました。

 

それが正しいし、そうすべきだから。

 

でも、自分でいろいろやってみて実感したのは、自分の行動基準を、人に合わせなくていい、ということ。

 

つまり、自分がどうしたいのかを考えて、やりたいことをやればいいじゃんと、思うのです。

 

責任を果たさないとやりたいようにやれないなら果たせばいいし、誰かのためを考えると自分の思うとおりにできないのなら、代案を考えればいいと思うんですよ。

 

とはいえ、どうしても「無理だ」と思ってしまうことはあると思います。

 

ぼくも、あります。

 

お金の勘定ができないんです。

 

どんぶり勘定なんですよね、いつも。

 

それはたぶん、自分がまだ大きなものにすがってられる安心感をもってるからだろうし、それはまだ学校的価値観にとらわれているということなんだと思います。

 

ぼくはけっこう自分の頭で物事を考えられるようになってきたと思っていますが、まだまだ先は長いようです。

 

それもそのはず。

 

休学中に、自分が進みたい道を見つけて、いろんな経験をしてちょっと調子に乗って帰ってきましたが、一年かけて「自分ってほんと無能なんだな」ということに気づきましたから。

 

それは、自分の考え方が一年かけて、自分らしく生きるためのスタートに立ったということだと思っています。

 

自分が無能だということを思い知って、受け入れて初めて、素直に人の話を聞けるようになったし、着実な一歩を踏み出せたので。

 

考え方なんて、そう簡単には変わりません。

 

焦って自分をけなさなくても大丈夫です。

 

だけど、自分を変えたいなら、まずは自分の現状を素直に受け止めることが、一番にすべきことだと思いますよ。

 

想像上の自分がいくらうまくいっていても、現実の自分の足が進んでないと意味がないですし。

 

自分の幻想を守るためのプライドなんていりません。

 

必要なのは、傷ついてもいいという覚悟と、どうなってもいいやという諦めです。

 

 

 

というところで、改めてぼくがどう生きたいかをここに書いておきます。

 

ただの自己満足です。

 

ぼくは、ライターとして世の中のいいものを伝えていきたいし、自分が知らない世界に飛び込んでいきたい。

 

いろんな人の話を聞きたい。

 

何か事業をしている人が、どんな思いをもってやっているのかを知りたい。

 

だからこそ、ぼくは3歩目として、目標を立てました。

 

『6月中に、松田和幸の名前を沖縄中に広める』

 

具体的な数字でおくとどうすべきかはまた考えますが、そのままの気持ちを記すとこんな感じです。

 

頑張るぞ!

 

それでは!

やりたいことなんて、なくてもいい。

こんにちは、松田です。
突然ですがみなさんは、『やりたいこと』ってありますか?
…こう書くと意識高い人みたいですね。
別に、「やりたいことを持とう!」なんて両手を上げて言おうとしてるわけじゃないです。

やりたいことなんてね、なくてもいいんですよ。
やりたいことなんてなくても生きていけますし、幸せですしおすし。
それなのに、「やりたいことをもて!」と言われちゃう世の中なんてポイズンです。
勝手にさせてくれよって話です。

だいたいね、やりたいことなんて、ホイホイ見つかるもんじゃないんですよ。
砂漠の中から星砂を探すようなもんなんです。
難しいから、ほんとに。

でもね、見つける難易度が高いもんだからこそ、なによりも自分をハッピーにしてくれるんですよ。
それを見つけて持ち歩いてるときの楽しさは、おニューの靴をおろしたときの1000倍はあります。

やりたいことを見つけるためには、いろいろ経験するのが大事です。
そう書くと平凡ですが、経験っていうのはインターンをするとかスポーツをするとか、そんなざっくりしたものだけではないのです。

『透明なルートビアを完成させた』とか、『沖縄の植物で淹れたお茶でカイワレを育てた』とか、そんなのも含めて経験です。

そういう経験をしていくと、だんだんと、自分がやりたいことの輪郭が見えてくるんですよね。

「星砂はこの辺にあるかもよ!」と、教えてくれる感じです。

いろいろやってみると、自分のなかで好きか嫌いか、はたまた楽しいか楽しくないかと、感情が動くじゃないですか。

その感情がコンパスになって、指針を頼りに楽しい方に歩いてみると、いつの間にか、自分が本当にやりたいことをやってるわけです。

だから、やりたいことなんていつ見つかるかわからないものです。

でも、カテゴリーにこだわらず、自分が楽しいと思うことを続けていると、そのうち見つかります。
不安になる必要なんてないんです。

だからこそ、やりたいことをやってるから意識高いとか偉いとか、そんなもんじゃないんですよね。
みんな、自分の人生を生きてるだけですし。
それを他人と比べるから不安になって、こんなんじゃダメだと思ったり、人を見下して優越感に浸ったりするんです。

ぼくは、1人が寂しくなってきたのと、どうせならみんなで楽しみたいから誘ってみてます。

結論としては、楽しいとか悲しいとか、ふざけんなとか思うような経験をして、自分が本当にやりたいことはなんだろうと探してみて、それが見つかったら最高ですよ、というところですね。

そんなわけで、ちょっとだけ告知を。
5/25(木)の18:30〜20:30に、トポセシアで株式会社沖縄エジソンという会社の説明会があります。
【18時半開始】株式会社沖縄エジソン説明会 ~産休・育休が100%取れる会社です~ | Topothesia | 沖縄のカフェ&コミュニティスペース「トポセシア」

1972年の沖縄返還の年から沖縄を支え続け、今では沖縄になくてはならない立役者です。

だからほぼほぼ潰れることがなく、学歴に関わらず仕事ができれば誰でも昇格できます。社長にもなれます。
そのぶん給料も上がりますし、産休育休は100%取れます。
つまり、この時代にあって希少な、安定した環境で、やろうと思えば定年まで働けちゃう、子育てもしっかりできる会社なんです。

しかも、役員の方がめちゃくちゃ話を聞いてくれます。
鬱になったら、働けるようになるまで待ってくれます。
文系出身だろうと、IT関係に興味が出たら、ITの仕事を任せてくれます。
しっかりとした研修もあるので、文系出身でもプログラミング関係の仕事ができるようになります。
そんな、めちゃくちゃ良い会社の説明会が、来週あります。
ぼくは沖縄エジソンが大好きなので、自分のブログでも紹介したくてしました。
社長さんが超優しいんですよ。
マジで良い会社なので、安定がほしくて銀行や郵便局を受けてる方とか、沖縄で沖縄のために働き続けたい方とか、おすすめです!

こういう説明会で聞いた話が人生を変えたりもするので、前の話と結びつけると、「どんな経験が自分のやりたいことを見つけさせてくれるかわかりませんよ?」ですね。

そんな感じです。
それでは!

【仲間募集】一人であれこれ考えててもおもしろくなくなってきたから、一緒におもしろいことをやれる仲間がほしいです!

こんにちは、松田です。

限界です。

一人で生きられる力をつけようという思いで借金をしてスタートを切ったのですが、最近、一人でできることの限界を知り始めました。

人と何かをなしとげたほうがおもしろいという事実も。

だから、一緒におもしろいことをできる仲間がほしいです。

 

ぼくは今まで個人プレーで生きてきました。

中学のときのバドミントンもシングルだったし、高校では毎日一人で自主練と筋トレをしながら剣道をやって、受験勉強も一人でコツコツと。

大学でも学科からは独立して、大学の外でいろんな経験を楽しんできました。

いくつかのバイトもし、今はトポセシアに身を置いてやってますが、仲間と何かをするという経験はしてこなかったんですよね。

協力して物事を作ったのは、ビジコンのときくらいです。

それでもまぁまぁの結果は出してきたので、このままうまくいけるかなと思ってましたが、ここ数日で気づきました。

 

信頼できる仲間がいたほうが楽しい。

 

・・・ただ、人を信頼するのは怖いんですよ。

いろいろトラウマがあるのと、ぼくは人を信じすぎるので、裏切られたときが怖いんです。

正確には、裏切られたときに死にたくなるのが怖い。

 

もちろん、ぼくの周囲にいてくださる人はみんな優しい人たちだなと感じているし、信頼はしているつもりです。

でも、ぼくは人と付き合うときには、裏切られる可能性を考えて、多少の距離を置くんです。

裏切られたくない人には、精一杯の誠意を示しているつもりです。

 

ただ、一生懸命気と思考を使わないと関係を保てない(とぼくが思っているだけですが)のがしんどくなってきました。

つまるところ、家族がほしいんです。

互いに理解しあえて、気のおけない話ができるような家族が。

 

実際の家族はいますが、彼らは利害が一致しているからこそ付き合いがある関係なので、今までの借金と時間を返済したら関係は終わります。

 

ぼくは利害関係ではなく、一緒にいると幸せだから一緒にいるような、そんな関係がほしいです。

おもしろいことを笑いながら一緒にできる仲間でいられたら最高だなと思っています。

 

意味のないおもしろいことでもいいし、意味のあるおもしろいことでもいい。

 

ゆくゆく、自分たちがやってるおもしろいことでお金を稼げたら、より意味のないおもしろいことができて最高だなと思っています。

沖縄で一番バズを生める集団になれば、企業とか商品のPRとかをお金をもらってできるんじゃないでしょうか。

おもしろいことをたくさんやって、価値を生んで、いただいたお金で酒を飲んで、またおもしろいことをする、なんて生活ができたら最高だろうなーと思います。

おもしろいことというのは、記事とか動画とかの枠に収まらず、何でもやりたいですね。

おもしろいことで自分たちも、見てる人たちもハッピーになれれば最高です。

 

まぁ、関係を作るなかでいろいろあるだろうし、つらいこともいっぱいあるとは思います。

それでも、楽しいという感情がつらさを打ち消してくれるのをぼくは知ってるので、大丈夫。

とにかくやるだけです。

 

今回、ネットで募集してるのは、対面で誘うと迷惑がられそうだからです。

数人、この人たちと組みたいなという人の顔は浮かんでいるのですが、誘ったときに「迷惑に思われてるんだろうな」と、ぼくが自動的に思ってしまって誘えないんですよね。

その点、ネットだと100%向こうの意思できてもらえるので、余計な疑いをもたずにすむので、こういう形を取ってます。

 

こんなことを言ってますが、やってみるとぼくが人間関係を作るの下手すぎて、結局一人で何でもやっちゃう、みたいな感じになったらすみません。

始める前にそんなの書くんじゃないよと思われるかもしれませんが、可能性としてありそうなので、一応書いておきます。

肝っ玉の小さい人間ですみません。

 

最後に、ぼくの理想を書いておきます。

こういう世界になればいいのにな、という理想です。

 

今ってなんか、まじめすぎませんか?超窮屈じゃないですか?

なんで枠に収まらなければいけないんだという思いをもちませんか?

もっと好きにさせてくれよと思いませんか?

 

人が、自分の好きに生きたら、誰かを傷つける可能性が高いと思われてるんですかね?

だから枠に押し込めるんでしょうか?

支配下において、行動を制限して、生きさせているんでしょうか?

 

そんなの、支配してる側もされてる側も楽しいんですか?

 

ふざけるなよ。

 

もちろん、暮らしを支えてもらってるからぼくは生きているわけで、そこは本当に感謝しています。

だから、社会のためという考えをもっているし、そういう行動をしているつもりです。

みんながよりよく生きられればいいなと思っています。

 

まぁ、ぼくの怒りは的外れなのかもしれないし、別に誰も支配しているわけじゃないのかもしれません。

 

でも、これだけは確実です。

ぼくたちは、”勝手”に行動することを許されない。

許さないのは、親かもしれないし、貧しさかもしれないし、ルールかもしれないし、社会かもしれないし、自分かもしれない。

何かをするには、何かしらの許可を誰かにもらわなくてはならない。

なんて窮屈なのだろうかと、ぼくは思います。

勝手と言うのは、他人への理解と配慮と行動して結果に対しての責任があるものです。

 

もっと勝手に生きよう。

自分で自分に縛りを設けて行動を制限するのはやめませんか。

自分の人生を生きてほしいんです。

 

ぼくはこの世界が、みんなが互いを理解しあって、配慮しあって、自分のやることに責任を持ったうえで、勝手に何かをやってる、みたいなところになればいいなと思います。

 

そこに、自分の勝手で行動選択をする余地があるのかという問いに対しては、イエスです。

大いにあります。

 

他人への理解と配慮と責任があるからこそ、自分の心の声に従えるんです。

その心の声をそのまま出すことが、自分の勝手です。

 

人生は、もっと楽しいはず。

ぼくたちは、もっと楽しく生きられるはず。

 

ぼくたちが先陣を切って楽しいことをやり続けることで、もっと楽しさであふれる世界になればいいなと思います。

 

それでは。