物書きの物置き

物書きなので、物語を書いて並べます。

2broがなぜ面白いのか-1

こんにちは。松田です。

 

今回は、2broさんの面白さについて。

1回目のテーマは『3人の役割について』です。

 

ぼくは、2broの動画は全部3回くらいは見返してるほど大好きです。

 

とくに弟者さんとおついちの絡みが好きで、デッドバイデイライトの動画は暇な時や作業してるときに流してます。

 

さて、そんな2broさんの動画ですが、あのお三方が揃っているからこそ作られている面白さだというのは、ファンのみなさんがおっしゃる通り。

 

ではその面白さがどのように作られているのか、解説いたします。

 

まず、3人それぞれの役割がありまして、まず弟者さんがしゃべり、そして誰かとゲームをするときの進行、だいたいのアクションゲームでパワー型のキャラクターを操ります。あとは雰囲気作りと一番無邪気にゲームをする役割。

 

視聴者側からすると、ワンピースのルフィのように、ゲームでどんな逆境に追い詰められても弟者さんならなんとかしてくれるというある種の信頼感のような、ヒーローのような感じがする人です。

 

おついちさんはいつも上手な編集でぼくたちを楽しませてくれますよね。動画の中では自由にしゃべり弟者さんや兄者さんのツッコミを待つという役割をしています。あとはたぶん、編集で文字を入れるところを考えておられると思います。

 

そのやりとりにぼくたち視聴者は仲の良さを感じて楽しい気持ちになっています。

 

また、弟者さんとおついちさんの動画をみていると、まるで親友同士のやりとりを見ているような気持ちになるんですよね。

 

あの親密さがたまらなくて2人の動画が待ち遠しく思っています。

 

兄者さんは、そのゲームが上手く運ぶように作戦を立てたり、弟者さんやおついちさんに美味しいところを渡すための準備をするビッグブラザー

 

また、車やマシンの好きを突き詰めることで、ゲーム好き以外のファンも増やす役割をしているはずです。

 

弟者さんと2人の時はお兄ちゃんらしくお膳立てをし、おついちさんと2人の時は同志のような雰囲気でゲームをしています。

 

 

彼らがゲームをする風景がなぜ面白いのかというと、兄弟でゲームをしているような仲の睦まじい感じがするからなんですよね。

 

もちろんしゃべりや掛け合いが上手いこと、ゲームで起こるハプニングが秀逸なのもありますが、あの雰囲気がその面白さを支えています。

 

おついちさんの立場は絶妙で、兄弟と仲が良く家族ぐるみで親交がある親友のような立場なんですよね。

 

だから2broという名前に入っていても違和感がないし、ちゃんと彼のキャラも立っているのです。

 

あのお三方のようなグループで一緒に仕事をする生活に憧れますね。

 

それでは!

最近のチ○コの扱いが神格化していて面白い

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ある夜、しっぽり楽しもうと思ってエロサイトを眺めていたところ、こんな広告が流れて来て爆笑しました。

 

最近、心霊とやる系のエロ漫画多いですよね。

 

チ●コが次元の壁を超え始めています。

 

質量のない相手にも質量を感じられるというか感じさせられるミラクル神器になってきてて、男尊文化の最先端って感じがしますね。

 

ちなみに漫画は読んでませんが、オチは読めます。

 

たぶん女悪霊を●かせて浄化、チ●ポの勝ち、みたいなところでしょうね。

 

それよりは、すげーハードなタッチでゴルゴ13風のチンコが呪われし悪霊と戦う展開のエロ漫画が読んでみたいものです。ジャンプあたりで。

 

ていうかミラクルチンポって何だ。チン●界のアベンジャーズか。

模索

 仕事には、何をどうしていいかわからないという状況がある。しかしそんな状況にも光を見つけて解決していくのが仕事であるとよく言われる。それは大変理解ができるけれども、では無理なものは無理だというのはわがままだろうか。例えば、レベル5のポケモン6匹のパーティーで四天王を倒すことはできないだろう。これで倒せるという人は、攻撃力や回避率を爆上げする手段を仕込んでいるはずだ。だがそんな特殊な手段を取るより、順当にレベルを上げたほうが早い。ポケモンの世界ではレベルの上げ方がわかりやすいが、現実世界ではどのように努力値を積めばいいかがわかりづらい。ぼくは今、そこで悩んでいる。

 無理があるならその状況を全部伝えて何をすべきかの判断を仰ぐ、というのも仕事をする上で必要なのだと思う。だが上司がいない状況で、自分1人でなんとかするしかない場合、どうすればいいのだろうかと思う。そんなこといってないでさっさとやれよという意見もわかる。常々自分に言い聞かせている。できないと諦めるのではなく、できるまで光を見つける努力をすることが大事なのだろう。それが仕事で努力値を積む方法なのだろう。そうすることで、その仕事が失敗だろうが成功だろうが、もしかしたらレベルアップしていることもあるんだろうと思う。

 ぼくは最近、心に「完璧を目指すよりまず終わらせろ」という言葉を置いている。この言葉を血に溶かし、細胞に行き渡らせたい。

又吉直樹著『第2図書係補佐』を読んで14

今回は、『高円寺純情商店街』の内容について。

 

ここでは、又吉さんが高円寺のとあるバーを訪れた時の出来事が描かれている。

 

そのバーは、創業60年を誇る高円寺の心臓的なバー。

 

かつては作家の安岡章太郎や太宰の師・井伏鱒二も訪れたことがある、作家の歴史に関与したバーだという。

 

そこの店主は、60年間カウンターに立ち続けたおばあちゃん。

 

昔は小説を書いていたけれど、当時来てた常連さんが自分よりも先に賞を取ってしまったからやめてしまった。

 

その人が『高円寺純情商店街』の作者であり直木賞作家のねじめ正一だったという。

 

そう書かれると、高円寺という街は作家の街だったのだなという印象を抱くし、作家志望の人なら行きたくなる。

 

高円寺がどんな街だったのかを知りたくなる。

 

だから『高円寺純情商店街』も読みたくなる。

 

高円寺を訪れたことがある人や、まつわる話を聞いたことがある人にとっても新鮮な話なんだろうなと思った。

練習

 大学に入ると練習することがなくなってしまった。なくなったというよりは、しなくなったというほうが正しい。入学当初はダイビング部に入って毎週日曜に泳ぎや救助の練習をしていたものだが、部内のごたごたがめんどくさくなってやめてしまった。

 中学時代にはバドミントンを熱心に練習していた。熱心と言っても、あれはたぶん部内での立ち位置を守るために練習していたのだと思う。自分の才能での天井が見えてしまってから、そう思い込んでしまってからは練習をこなす日々だった。

 高校時代には、剣道を始めた。あの頃はとにかく強くなりたかった。毎日朝昼晩、筋トレと素振りをし、竹刀を常に持ち歩いた。毎日竹刀を横に置いて寝た。人生で一番練習に打ち込んだ時期だった。学校のゴミ捨て場で廃材を集めて自分で打ち込み人形を作って練習したりもしてたが、32回あった試合で勝てたのは1回だけだった。でも、それでよかった。ぼくはたぶん試合に勝ちたくて剣道をやっていたのではない。自分が強くなったという実感を得たかった。結局、体は強くなってあの頃は満足していたが、心は弱いままだった。

 練習に必要なのは目的だ。「君の責任で何をしてもいい」と言われる世界にきて、ぼくは何をすればいいかわからなくなった。何でもやってみた。その結果、自分は書くことでしか行きられない人間だとわかった。だからこれからは書く練習をしていく。自分の思い通りの人生を作るために。