又吉直樹著『第2図書係補佐』を読んで⑨
今回は、『何もかも憂鬱な夜に』の内容について。
この本について書かれた文章に、『紹介』という行為のひとつの正解を見た。
この文章の最後は、こう締めくくられている。
『何もかも憂鬱な夜に』を読んだ。この本は僕の過去にまで遡り思春期の頃の僕と今の僕を救ってくれた。僕に必要なことは全て書いてくれていた。こんなにも明確に生きる理由を与えてくれる小説はなかった。
もしもぼくが又吉さんよりも先に『何もかも憂鬱な夜に』を読んでいたら、もっと拙い言葉ではあるけれど同じ感想を書いていたと思う。
いや、同じ感想を抱くかはわからないが、この文章を書いた又吉さんはぼくだったのだ。
押入れの奥に積み重なったノートには爆ぜるような感情が書きつけられていて、貧富の差や世界の始まりについて考えたことがあり、ランボーを観た夜は自分がとてつもなく強くなったように感じたこともある。
自分の人生に期待しながら、心のどこかではただ生きて死ぬだけの人生を送るような気がしていた。
狡猾な偽善者に思える自分が嫌いだった。
自分が生きている理由を知りたかった。
そんな思春期の激情をうまく言い表した彼の言葉に、ぼくは自分を重ねた。
ぼくの思春期がそこにあった。
だからこそ、締めくくりの文章に強く惹かれた。
『何もかも憂鬱な夜に』をすぐにでも読みたい。
紹介のひとつの正解は、読者の人生を文章に浮かび上がらせて、そんな人生を歩んだ人間がどう思ったかを書いたものだと思った。
今日はとにかく憂鬱な夜だから、手元に置いておきたい本だ。